【監獄野球】北海道が起源「塀の中のプレイ・ボール」/祝!野球伝来150年〈5〉

野球が日本に伝わり、2022年で150周年を迎えました。野球の歴史を巡る不定期連載Season5は、明治時代に北海道の監獄でベースボールが行われていたことを紹介します。「野球」という訳語が生まれるよりも前のこと。明治政府による開拓が進められていた北の大地で、なぜ囚人たちがプレーしたのでしょう。記者は札幌から車を走らせました。

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ゴールデンカムイで脚光 北海道・月形町の樺戸集治監

北国の冬は早い。11月中旬。札幌から国道275号を北へ進むこと、およそ1時間。月形町の月形樺戸博物館で、職員の方にこう言われた。

「週末には、みぞれが降るみたいです。今日が最後ですね」

最後とは、こんな穏やかな秋の1日も、ということ。日が差し、気温は10℃を少し上回っていた。風もない。東京から来た身にも、しのぐことができた。

運が良かった。もうすぐ冬がやってくる。かつてここに立っていた監獄の囚人たちは、雨の日も、風の日も、雪の日も、1日平均9時間の労役を科せられていた。

「監獄」と書いたが、明治時代は「集治監」(しゅうちかん)と呼んだ。樺戸集治監ができたのは、1881年(明14)。東京、宮城に続く全国3番目だった。樺戸を皮切りに、空知、釧路、網走、十勝と道内に建てられていった。

旧樺戸集治監本庁舎。現在は月形樺戸博物館。石段がすり減っているのは「鉄球をつけた囚人が出入りしたため」とも言われるが、実際は多くの人が出入りしたためで、囚人が本庁舎に入る機会は限られていた

旧樺戸集治監本庁舎。現在は月形樺戸博物館。石段がすり減っているのは「鉄球をつけた囚人が出入りしたため」とも言われるが、実際は多くの人が出入りしたためで、囚人が本庁舎に入る機会は限られていた

子どもの頃、平和台球場で見た情景がプロ野球観戦の原点。大学卒業後は外務省に入り、旧ユーゴスラビアのセルビアやクロアチアの大使館に勤務したが、野球と縁遠い東欧で暮らしたことで、逆に野球熱が再燃。30歳を前に退職し、2006年6月、日刊スポーツ入社。
その夏、斎藤佑樹の早実を担当。いきなり甲子園優勝に立ち会うも、筆力、取材力及ばず優勝原稿を書かせてもらえなかった。それがバネになったわけではないが、2013年楽天日本一の原稿を書けたのは幸せだった。
野球一筋に、横浜、巨人、楽天、ロッテ、西武、アマチュアの担当を歴任。現在は侍ジャパンを担当しており、来春の世界一原稿をイメトレ中。好きなプロ野球選手は山本和範(カズ山本)。