浅尾拓也コーチが追い求める理想は森繁和氏 灯台にも防波堤にも駆け込み寺にもなれる

田村藤夫氏(63)の「プレミアムリポート」は、中日浅尾拓也2軍投手コーチ(38)へのインタビューを終えた率直な思いをお届けします。コーチとして5年目。有望な若手から、1軍から不調で2軍落ちしてきた中堅投手まで、幅広い選手層と向き合う浅尾コーチの指導法をじっくり聞きました。そこから田村氏が感じたことは、これからのコーチ像のヒントになりそうです。

プロ野球

◆浅尾拓也(あさお・たくや)1984年(昭59)10月22日生まれ、愛知県出身。常滑北―日本福祉大を経て06年大学・社会人ドラフト3巡目で入団。主に勝ちゲームの8回を任され、抑えの岩瀬とともに抜群の安定感を誇った。10年に挙げた47ホールド、59HPはプロ野球記録。通算232HPは歴代3位。11年、中継ぎ投手で初のMVP。18年限りで現役を引退し、現在は中日の2軍投手コーチを務める。182センチ、78キロ。右投げ右打ち。


◆田村藤夫(たむら・ふじお)1959年(昭34)10月24日、千葉・習志野出身。関東第一から77年のドラフト6位で日本ハム入団。93年に初のベストナイン、ゴールデングラブ賞を受賞。93年オフ、巨人長嶋監督からFA移籍でのラブコールを受けたが、日本ハムに残留。96年オフには、ダイエー(現ソフトバンク)王監督から直接電話を受け、移籍を決断した。07年からは、中日の落合監督に請われ入閣。捕手としてONと落合氏から高く評価されたが、本人は「自分から人に話すことではない」とのスタンスをかたくなに守る。42年間のプロ野球生活を経て解説者に。通算1552試合出場、1123安打、110本塁打。@tamu2272

2019年 ともにファームで指導

浅尾コーチが現役を引退して、2軍投手コーチになったばかりの19年シーズンの1年間だけ、私はファームでともに選手の指導にあたった。

何でも一生懸命にやっていた。全部のピッチャーを見て、すべてのピッチャーの練習が終わるまで遅くまで残り、特定の選手に偏らないよう、本当に全力で見ようとしているなと感じた。

田村藤夫氏が撮影した、サムネイルに未使用のショット。凜とした雰囲気は現役時代と変わらない=2023年6月13日、ナゴヤ球場

田村藤夫氏が撮影した、サムネイルに未使用のショット。凜とした雰囲気は現役時代と変わらない=2023年6月13日、ナゴヤ球場

当時はどんな思いでコーチをしているのか、そんな話題にはならなかったが、今思い返せば、コーチになったことで、浅尾コーチの人柄はグラウンドでより鮮明になった気がする。

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1959年(昭34)10月24日、千葉・習志野出身。
関東第一から77年のドラフト6位で日本ハム入団。93年に初のベストナイン、ゴールデングラブ賞を受賞。
93年オフ、巨人長嶋監督からFA移籍でのラブコールを受け(日本ハムに残留)、96年オフには、当時の王監督(現会長)から直接電話でダイエー(現ソフトバンク)移籍を決断。07年から中日落合監督に請われて入閣した。
ONと落合氏から高く評価された捕手だが、田村氏はそうした経緯について「自分から人に話すことではない」というスタンスをかたくなに守る。42年間のプロ野球生活を経て解説者に。プロ通算1552試合出場、1123安打、110本塁打。