全フレッシュマンに届け!日本ハムのドラ1・柴田獅子が田村さんに明かした未来の自分

田村藤夫氏(65)のプレミアムリポートは、日本ハムの高卒ドラフト1位の柴田獅子(れお)投手(18=福岡大大濠)です。

高校時代は最速149キロの本格派右腕で、打者としても通算19本塁打を放った左の大型打者として、早くから注目されていました。

プロ野球

◆柴田獅子(しばた・れお)2006年(平18)4月18日、福岡県飯塚市生まれ。野球は庄内小2年から始め、庄内中では飯塚レパーズ所属。福岡大大濠では1年夏からベンチ入りし、甲子園出場なし。変化球はスライダー、カーブに加えフォーク習得中。50メートル6秒4。遠投100メートル。好きな有名人はNewJeansのミンジ。趣味は読書。目標は大谷翔平。187センチ、87キロ。右投げ左打ち。


◆田村藤夫(たむら・ふじお)1959年(昭34)10月24日、千葉・習志野出身。関東第一から77年のドラフト6位で日本ハム入団。93年に初のベストナイン、ゴールデングラブ賞を受賞。93年オフ、巨人長嶋監督からFA移籍でのラブコールを受けたが、日本ハムに残留。96年オフには、ダイエー(現ソフトバンク)王監督から直接電話を受け、移籍を決断した。07年からは、中日の落合監督に請われ入閣。捕手としてONと落合氏から高く評価されたが、本人は「自分から人に話すことではない」とのスタンスをかたくなに守る。42年間のプロ野球生活を経て解説者に。通算1552試合出場、1123安打、110本塁打。@tamu2272

■「栗山さんが試合を見に来てくださって」

田村はじめまして、OBの田村と言います。忙しい時に、時間作ってくれてありがとう。

柴田いえ、よろしくお願いします。

田村大きいねえ。どうですか、プロの雰囲気にはだいぶ慣れましたか?

柴田はい、みなさん良くしていただいてます。とてもやりやすいです。

《田村だいぶ、柴田君のことはメディアで紹介されているけど、二刀流をすることになった経緯など、直接聞いてみたいと思って、今日は取材をお願いしました。

柴田はい、わかりました。僕は二刀流をしようと思っていたわけではないんです。

田村うん。

柴田高校の時は投手としてやっていました。もちろん、バッティングもしていたのですが、ちょうど低反発バットに切り替えた時で、今までと同じスイングでは飛ばないなと感じていました。

だから自分でいろいろ考えながらスイングしていました。例えばボールに対するバットの角度などは、自分で試しながら打っていました。

田村なるほど。

柴田そうするうちに打球が飛ぶようになって、そうなると周囲の評価も上がってきました。

確か3年春頃だったと思うんですが、日本ハムの栗山さんが試合を見に来てくださって。その時のバッティングが調子良くて、おかげさまで視察していただいた日本ハムは、打者としても評価していただきました。そしたら、他球団も打者として評価してくれるようになった、そんな経緯でした。

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1959年(昭34)10月24日、千葉・習志野出身。
関東第一から77年のドラフト6位で日本ハム入団。93年に初のベストナイン、ゴールデングラブ賞を受賞。
93年オフ、巨人長嶋監督からFA移籍でのラブコールを受け(日本ハムに残留)、96年オフには、当時の王監督(現会長)から直接電話でダイエー(現ソフトバンク)移籍を決断。07年から中日落合監督に請われて入閣した。
ONと落合氏から高く評価された捕手だが、田村氏はそうした経緯について「自分から人に話すことではない」というスタンスをかたくなに守る。42年間のプロ野球生活を経て解説者に。プロ通算1552試合出場、1123安打、110本塁打。