【田村藤夫】打撃に進歩感じる巨人山瀬慎之助 甲斐に挑むため、これから問われるもの

2019年まで中日2軍バッテリーコーチとして若手を育成してきた田村藤夫氏(65)が、ファームで目にとまった選手や期待の若手選手の現状をチェックする「田村藤夫のファームリポート」。

今回は巨人山瀬慎之助捕手(23=星稜)です。

プロ野球

◆山瀬慎之助(やませ・しんのすけ)2001年(平13)5月4日、石川県生まれ。小学2年から野球を始め、宇ノ気中3年時に全国中学軟式大会優勝。星稜では1年秋から正捕手。奥川恭伸(現ヤクルト)とバッテリーを組み、2年春から4季連続甲子園出場。3年夏は準Vに貢献し、U18日本代表入り。19年ドラフト5位で巨人入団。22年4月7日広島戦でプロ初出場。同年6月9日西武戦でプロ入り初のスタメンマスクをかぶった。昨季まで通算15試合、5安打、打率2割8厘、0本塁打、0盗塁。177センチ、89キロ。右投げ右打ち。今季推定年俸680万円。


◆田村藤夫(たむら・ふじお)1959年(昭34)10月24日、千葉・習志野出身。関東第一から77年のドラフト6位で日本ハム入団。93年に初のベストナイン、ゴールデングラブ賞を受賞。93年オフ、巨人長嶋監督からFA移籍でのラブコールを受けたが、日本ハムに残留。96年オフには、ダイエー(現ソフトバンク)王監督から直接電話を受け、移籍を決断した。07年からは、中日の落合監督に請われ入閣。捕手としてONと落合氏から高く評価されたが、本人は「自分から人に話すことではない」とのスタンスをかたくなに守る。42年間のプロ野球生活を経て解説者に。通算1552試合出場、1123安打、110本塁打。@tamu2272

【連載206】<ファームリポート:イースタンリーグ・日本ハム3―9巨人>◇2025年4月6日◇鎌ケ谷

■右打ちを意識していた中で、変化球に対応して、レフト前に運んだ

巨人の高卒6年目・山瀬のバッティングに成長を感じた。その打撃向上を踏まえて、これから山瀬が1軍で定着するための困難な道のりを考えた。

第1打席は犠飛でしっかり打点を奪った。迎えた5回の第2打席は無死二塁。カウント3―1から、変化球を左前に運んだ。

このバッティングで特に私が注目したのは、山瀬は右打ちを意識していた中で、変化球に対応して、レフト前に運んだことだった。カウント3―1で、基本的には山瀬はストレート待ちでの右方向を意識していた。

この山瀬の狙いに対して日本ハムバッテリーも、緩急を使いタイミングを狂わせるように変化球を選択した。泳がされて緩い内野ゴロを想定していたのかと感じたが、山瀬はやや意表をつかれた中、しっかり体重を残しつつ、タイミングを外されながらも確実に左前に運んだ。

この真っすぐ待ちでの変化球対応と、バットコントロールの正確さに、これまでにないしぶとさ、粘り強さ、言い方を変えればバッティングの引き出しの増加を感じた。

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1959年(昭34)10月24日、千葉・習志野出身。
関東第一から77年のドラフト6位で日本ハム入団。93年に初のベストナイン、ゴールデングラブ賞を受賞。
93年オフ、巨人長嶋監督からFA移籍でのラブコールを受け(日本ハムに残留)、96年オフには、当時の王監督(現会長)から直接電話でダイエー(現ソフトバンク)移籍を決断。07年から中日落合監督に請われて入閣した。
ONと落合氏から高く評価された捕手だが、田村氏はそうした経緯について「自分から人に話すことではない」というスタンスをかたくなに守る。42年間のプロ野球生活を経て解説者に。プロ通算1552試合出場、1123安打、110本塁打。