伊集院光さんに挨拶したいんだけど…笑えてちょっとグッとくる、田村藤夫65歳の葛藤

田村藤夫氏(65)の「プレミアムリポート」は、日本ハムファン歴50年の伊集院光さん(57)と、沖縄・宜野湾で遭遇した時の様子をお伝えします。

2月16日、よく晴れた宜野湾のDeNAキャンプ地を訪れた田村氏は、三塁側ベンチに伊集院さんを発見。話し下手な田村氏が、苦しみ、もがきながら、とうとう話しかけるまでの葛藤が始まります。

プロ野球

◆伊集院光(いじゅういん・ひかる)1967年(昭42)11月7日、東京都生まれ。84年に三遊亭楽太郎(のちの6代目三遊亭円楽)の弟子となり、三遊亭楽大として活動開始。「伊集院光」を名乗ってラジオ出演も始める。88年開始のニッポン放送「伊集院光のオールナイトニッポン」や91年開始の同局「Oh ! デカナイト」で人気パーソナリティーに。95年からはTBSラジオで「深夜の馬鹿力」を開始。

◆田村藤夫(たむら・ふじお)1959年(昭34)10月24日、千葉・習志野出身。関東第一から77年のドラフト6位で日本ハム入団。93年に初のベストナイン、ゴールデングラブ賞を受賞。93年オフ、巨人長嶋監督からFA移籍でのラブコールを受けたが、日本ハムに残留。96年オフには、ダイエー(現ソフトバンク)王監督から直接電話を受け、移籍を決断した。07年からは、中日の落合監督に請われ入閣。捕手としてONと落合氏から高く評価されたが、本人は「自分から人に話すことではない」とのスタンスをかたくなに守る。42年間のプロ野球生活を経て解説者に。通算1552試合出場、1123安打、110本塁打。@tamu2272

■評論家の仕事をするようになり、なかなか初対面の選手に話しかけられない自分の特性が身に染みるようになった。

キャンプ地を回る時は、まずグラウンドに下りて、監督、コーチや選手にあいさつするようにしていた。DeNAは、それほど顔見知りのコーチ陣もいないため、やや遠慮気味に三塁側ベンチの前で練習を見ていた。

私はベンチの少し前で立っていた。後ろには、数人がいたが、そこに、ぱっと見て、すぐに伊集院光さんがいるのが分かった。

私は現役時代から、初対面の人とすぐにうち解けて話す方ではなかった。というよりも、初めてお会いする人と話すことは本当に苦手だった。

評論家の仕事をするようになり、なかなか初対面の選手に話しかけられない自分の特性が身に染みるようになった。「ああ、今なら声をかけられる」という時も、どうしても1歩が出なくてやり過ごしてしまう、そんなことが何度もあった。

だから、この状況で私がすぐに考えたのは、「この場で伊集院さんに話しかけなくても問題ない」ということだった。キャンプ取材に来ているのだから、その趣旨から外れる。

しかし、後ろにいるのが伊集院光さんであることが、そう簡単にあきらめさせない難問を私に突きつけていた。

そう、伊集院光さんは、筋金入りの日本ハムファンだ。50年来の日本ハムファンで、それこそ、2軍が新丸子の多摩川・河川敷で練習をしていたころからのファンだ。

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1959年(昭34)10月24日、千葉・習志野出身。
関東第一から77年のドラフト6位で日本ハム入団。93年に初のベストナイン、ゴールデングラブ賞を受賞。
93年オフ、巨人長嶋監督からFA移籍でのラブコールを受け(日本ハムに残留)、96年オフには、当時の王監督(現会長)から直接電話でダイエー(現ソフトバンク)移籍を決断。07年から中日落合監督に請われて入閣した。
ONと落合氏から高く評価された捕手だが、田村氏はそうした経緯について「自分から人に話すことではない」というスタンスをかたくなに守る。42年間のプロ野球生活を経て解説者に。プロ通算1552試合出場、1123安打、110本塁打。