【今だからこそ鎌ケ谷へ】支配下を逃したばかりの柿木蓮に、偽らざる心境を聞いてきた

田村藤夫氏(63)の「プレミアムリポート」は、7月末に続いてプロ5年目・柿木蓮投手(23=大阪桐蔭)です。沖縄・国頭の日本ハム2軍キャンプで、昨年オフに育成契約となった心境をインタビューしました。その後は4月下旬、7月上旬と、その時々に思うところを聞いてきました。柿木は7月末の支配下登録締め切りを迎え、今季中の支配下登録を逃しました。残念な結果になりましたが、結果を受けてからはじめて登板した8月5日の西武戦を見て、翌6日に鎌ケ谷スタジアムで現在の心境を聞きました。

プロ野球

◆柿木蓮(かきぎ・れん)2000年(平12)6月25日、佐賀県多久市出身。多久市立北部小学校2年で野球を始める。佐賀東松ボーイズに所属していた中学3年で143キロをマーク。世界大会の日本代表に選出されている。大阪桐蔭では2年夏の甲子園3回戦の仙台育英戦に先発。3年春は背番号「1」。初戦、準々決勝、準決勝で先発したが、決勝の先発マウンドは根尾に譲った。同年夏の甲子園大会では吉田輝星の金足農との決勝戦で先発、完投して春夏連覇を達成した。18年ドラフト5位で日本ハムに入団。右投げ右打ち。181センチ、88キロ。今季推定年俸440万。

◆田村藤夫(たむら・ふじお)1959年(昭34)10月24日、千葉・習志野出身。関東第一から77年のドラフト6位で日本ハム入団。93年に初のベストナイン、ゴールデングラブ賞を受賞。93年オフ、巨人長嶋監督からFA移籍でのラブコールを受けたが、日本ハムに残留。96年オフには、ダイエー(現ソフトバンク)王監督から直接電話を受け、移籍を決断した。07年からは、中日の落合監督に請われ入閣。捕手としてONと落合氏から高く評価されたが、本人は「自分から人に話すことではない」とのスタンスをかたくなに守る。42年間のプロ野球生活を経て解説者に。通算1552試合出場、1123安打、110本塁打。@tamu2272

登板翌日 8月6日に取材

田村氏お疲れさま。

柿木お疲れさまです。よろしくお願いします。

田村氏今日はベンチ入りかな?

柿木はい。入ってます。

田村氏試合前にごめんな。

柿木いえ、大丈夫です。

田村氏それで、7月が終わって8月に入って。今の心境を聞かせてくれないかな?

柿木そうですねぇ…、う~ん、まあ、その、今年のシーズン中のモチベーションというところでは、(支配下登録が)なくなってしまったというのは一番思います。

田村氏やっぱり、そうだよな。

柿木だけど、本当にここからは、自分が野球ができるか、アピールになると思いますし、そこだけですね。

田村氏今年2月最初のころは「辞めるくらいの覚悟で悔いなく、必死で支配下を目指す」と言っていたと思う。それで、残念ながら、そうならなかったんだけど。

でも、野球を辞めるわけではないし、また来年もチャンスはあるし。それでも気持ち的には難しいかな、やっぱり。

柿木う~ん、そういうこと言ってちゃダメなんですけどね。それで今、ただやるような、無駄な1日を過ごしちゃだめだと思いますし。

田村氏うん。

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1959年(昭34)10月24日、千葉・習志野出身。
関東第一から77年のドラフト6位で日本ハム入団。93年に初のベストナイン、ゴールデングラブ賞を受賞。
93年オフ、巨人長嶋監督からFA移籍でのラブコールを受け(日本ハムに残留)、96年オフには、当時の王監督(現会長)から直接電話でダイエー(現ソフトバンク)移籍を決断。07年から中日落合監督に請われて入閣した。
ONと落合氏から高く評価された捕手だが、田村氏はそうした経緯について「自分から人に話すことではない」というスタンスをかたくなに守る。42年間のプロ野球生活を経て解説者に。プロ通算1552試合出場、1123安打、110本塁打。