吉田輝星がなんか変「今日は話し方が冷めてる感じするよ」からの「ウフフフフ」/前編

田村藤夫氏(63)の「プレミアムリポート」は再び日本ハムの右腕・吉田輝星投手(22=金足農)へのインタビュー(前後編)をお送りします。今季は8月25日に1軍昇格。同日の西武戦で1回無失点、同29、31日のロッテ戦では連続失点。そして31日のロッテ戦に登板後に2軍降格を通告されています。51試合に登板した昨年の実績からすれば、吉田投手にとっては複雑な思いが胸中にうずまいているはずです。久しぶりに対面した田村氏は、率直に現在の心境を聞いています。

プロ野球

◆吉田輝星(よしだ・こうせい)2001年(平13)1月12日、秋田県潟上市生まれ。小3から天王ヴィクトリーズで野球を始める。金足農では1年夏からベンチ入り。3年夏は、秋田大会から甲子園準決勝まで10試合連続完投勝ち。決勝では大阪桐蔭に敗れたが、金農旋風を巻き起こした。大会通算62奪三振は歴代6位。U18アジア選手権日本代表。18年ドラフト1位で日本ハムに入団。4年目の昨季は、主に中継ぎとして51試合に登板し2勝3敗5ホールド、防御率4・26。今季推定年俸2000万円。175センチ、84キロ。右投げ右打ち。


◆田村藤夫(たむら・ふじお)1959年(昭34)10月24日、千葉・習志野出身。関東第一から77年のドラフト6位で日本ハム入団。93年に初のベストナイン、ゴールデングラブ賞を受賞。93年オフ、巨人長嶋監督からFA移籍でのラブコールを受けたが、日本ハムに残留。96年オフには、ダイエー(現ソフトバンク)王監督から直接電話を受け、移籍を決断した。07年からは、中日の落合監督に請われ入閣。捕手としてONと落合氏から高く評価されたが、本人は「自分から人に話すことではない」とのスタンスをかたくなに守る。42年間のプロ野球生活を経て解説者に。通算1552試合出場、1123安打、110本塁打。@tamu2272

「はい、まあ」

田村氏久しぶりだね。元気ですか?

吉田はい、元気です。

田村氏ごめんね、いつも。

吉田大丈夫です。

田村氏1軍、どうだった?

吉田はい、まあ、初戦はいい感じで投げられて。普通に投げられれば通用するって、そういうのは感じられたと思いました。

8月31日、ZOZOマリン

8月31日、ZOZOマリン

田村氏3回投げて、トータル3イニングで3失点か?

吉田はい。最初は0で、あとは1点、2点と点を取られました。

田村氏内容的にはどういう感じだった?

吉田最初の点を取られた試合は、投げるボールをミスって打たれたって感じを建山さんに言われました。次の試合は、ストレートで差し込めなかったので、普通に打たれた、って感じです。

田村氏球種は全部使ったの?

吉田いえ、全然使ってないです。1軍行くと真っすぐとフォークしか使えないっすね。1イニングなら、それでもいいかなとは思いますけど。

田村氏それで抑えられればいいんだろうけどな。

吉田はい。

田村氏抑えにいく時に球種が2つでいいのかって、ところなんだよな。

吉田なんか、カットボールとか、あんまり信頼できないボールで打たれるよりかは、自分で自信ある2球種で勝負した方が、勝負にいきやすいっていうのはあります。

田村氏あんまり信用できないんだ? カットボールは。

吉田1軍で使えるかどうか、わからなかったので。最初点取られた試合で、ダメ元で使ってみたら、カットボールは次の試合で打たれなかったので。そこは収穫だったかなと思うんですけど。

2023年8月25日、ベルーナドーム

2023年8月25日、ベルーナドーム

田村氏3試合でファームに戻ってきたんだけど、その理由は打たれたから?

吉田はい、そうだと思います。

田村氏何か言われた?

吉田まあ、ストレートをもっと良くしてくれ、という感じのことは言われました。

田村氏それを聞いて、自分ではどう思った?

吉田はい、まあストレートの出力の話はコーチから話をされていて。球速自体は去年の調子いい時の球速に戻ってきているんで。

まあ、そこはトレーニングやって、じわじわ上げていくしかないんだと思います。

田村氏うん。

吉田そんな感じですね。

田村氏ファームで良くなってたじゃない? その時に比べて、1軍に上がった時の調子はどうだった? ちょっと調子が下降線だったってことは?

吉田いえ、そんなことはなかったです。調子は良くも悪くもない感じでした。

田村氏なんか、今日は話し方が冷めてる感じするよ。

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1959年(昭34)10月24日、千葉・習志野出身。
関東第一から77年のドラフト6位で日本ハム入団。93年に初のベストナイン、ゴールデングラブ賞を受賞。
93年オフ、巨人長嶋監督からFA移籍でのラブコールを受け(日本ハムに残留)、96年オフには、当時の王監督(現会長)から直接電話でダイエー(現ソフトバンク)移籍を決断。07年から中日落合監督に請われて入閣した。
ONと落合氏から高く評価された捕手だが、田村氏はそうした経緯について「自分から人に話すことではない」というスタンスをかたくなに守る。42年間のプロ野球生活を経て解説者に。プロ通算1552試合出場、1123安打、110本塁打。