【6度目の柿木蓮】1死二、三塁で4番、カウント1ボールなら…落としどころを考える

田村藤夫氏(64)の「プレミアムリポート」は、5月6日に千葉・鎌ケ谷で育成契約2年目の日本ハム柿木蓮投手(23=大阪桐蔭)へのインタビューを行いました。今年2月に沖縄・国頭の2軍キャンプでインタビューして以来です。田村氏との会話は、かなり専門的な内容になります。インタビューを重ね、捕手だった田村さんの視点も取り入れて、少しでも成長しようという柿木投手の熱意が感じられます。

プロ野球

◆柿木蓮(かきぎ・れん)2000年(平12)6月25日、佐賀県多久市出身。多久市立北部小学校2年で野球を始める。佐賀東松ボーイズに所属していた中学3年で143キロをマーク。世界大会の日本代表に選出されている。大阪桐蔭では2年夏の甲子園3回戦の仙台育英戦に先発。3年春は背番号「1」。初戦、準々決勝、準決勝で先発したが、決勝の先発マウンドは根尾に譲った。同年夏の甲子園大会では吉田輝星擁した金足農との決勝戦で先発、完投して春夏連覇を達成した。18年ドラフト5位で日本ハムに入団。プロ通算4試合の登板で0勝0敗、防御率2・08。23年から育成選手。昨季はイースタン・リーグ33試合に登板し、4勝1敗3セーブ、防御率2・21。右投げ右打ち。181センチ、87キロ。今季推定年俸440万。


◆田村藤夫(たむら・ふじお)1959年(昭34)10月24日、千葉・習志野出身。関東第一から77年のドラフト6位で日本ハム入団。93年に初のベストナイン、ゴールデングラブ賞を受賞。93年オフ、巨人長嶋監督からFA移籍でのラブコールを受けたが、日本ハムに残留。96年オフには、ダイエー(現ソフトバンク)王監督から直接電話を受け、移籍を決断した。07年からは、中日の落合監督に請われ入閣。捕手としてONと落合氏から高く評価されたが、本人は「自分から人に話すことではない」とのスタンスをかたくなに守る。42年間のプロ野球生活を経て解説者に。通算1552試合出場、1123安打、110本塁打。@tamu2272

「球団からはもっとスピードをって」

柿木 田村さん、こんにちは。よろしくお願いします。

田村氏 キャンプ以来だね。お元気ですか。

柿木 はい、元気です。

田村氏 どうですか? 順調ですか?

柿木 はい、おかげさまで順調です。

田村氏 調べたら6試合くらいかな、それで計8イニングかな?ここまでの投球回は?(5月6日時点)

柿木 はい、そうです。だいたいそんな感じです。

田村氏 それで、防御率は1・13くらいかな。

柿木 はい。

田村氏 それで1敗だね。

柿木 はい、そうです。

田村氏 で、投げた感じはどんな自己採点ですか?

柿木 そうですね、抑えてはいるという感じですが。球団からはもっとスピードをって感じですね。

田村氏 そう言われてるんだ?

柿木 はい、言われてます。それでスピードアップを試みているところです。

本文残り77% (3709文字/4830文字)

1959年(昭34)10月24日、千葉・習志野出身。
関東第一から77年のドラフト6位で日本ハム入団。93年に初のベストナイン、ゴールデングラブ賞を受賞。
93年オフ、巨人長嶋監督からFA移籍でのラブコールを受け(日本ハムに残留)、96年オフには、当時の王監督(現会長)から直接電話でダイエー(現ソフトバンク)移籍を決断。07年から中日落合監督に請われて入閣した。
ONと落合氏から高く評価された捕手だが、田村氏はそうした経緯について「自分から人に話すことではない」というスタンスをかたくなに守る。42年間のプロ野球生活を経て解説者に。プロ通算1552試合出場、1123安打、110本塁打。