【田村藤夫の思い出】甲斐拓也と城島健司を引き合わせた10年前、焼肉店での捕手談議

今回の田村藤夫氏(65)のプレミアムリポートは、昨年オフにFA宣言してソフトバンクから巨人に移籍が決まった甲斐拓也捕手(32)についてです。

2015、16年、ファームで練習に明け暮れていた時、指導していたのが2軍バッテリーコーチの田村氏でした。

まだ何者でもなかった甲斐選手が過ごした日々を、田村氏の目を通して振り返ります。

題して「シャトーブリアンと甲斐拓也と城島健司」。

プロ野球

◆甲斐拓也(かい・たくや)1992年(平4)11月5日生まれ、大分県出身。楊志館から10年育成ドラフト6位でソフトバンク入団。13年オフに支配下へ昇格した。強肩で知られ、18年広島との日本シリーズでは6盗塁刺を記録し「甲斐キャノン」と異名を取る。19年の11本塁打は、育成ドラフト入団選手初の2桁弾。20年には、球団の大先輩、野村克也の背番号19を受け継いだ。17、20、22年ベストナイン、17~22、24年ゴールデングラブ賞。19年プレミア12、21年東京五輪、23年WBCなどで侍ジャパン入り。通算1023試合、587安打、打率2割2分3厘、62本塁打、290打点。170センチ、87キロ。右投げ右打ち。


◆田村藤夫(たむら・ふじお)1959年(昭34)10月24日、千葉・習志野出身。関東第一から77年のドラフト6位で日本ハム入団。93年に初のベストナイン、ゴールデングラブ賞を受賞。93年オフ、巨人長嶋監督からFA移籍でのラブコールを受けたが、日本ハムに残留。96年オフには、ダイエー(現ソフトバンク)王監督から直接電話を受け、移籍を決断した。07年からは、中日の落合監督に請われ入閣。捕手としてONと落合氏から高く評価されたが、本人は「自分から人に話すことではない」とのスタンスをかたくなに守る。42年間のプロ野球生活を経て解説者に。通算1552試合出場、1123安打、110本塁打。@tamu2272

■努力したから一流選手になった側面は確かにあるが、努力すれば一流選手になれるとは言えない。

よく練習をしていたと思う。

全体練習の後、大箱1箱に入ったおよそ200球を、セカンドスローしていた。それを毎日。日課にしていた。「よう投げるな」と私は練習に付き合いながら、その根気強さに目を見張った。

小柄だが、厚みのある上半身に、簡単には枯渇しないタフネスを感じた。頑丈な肉体と、どこまでもやり続ける強い意志。甲斐はどんな捕手になっていくのか、当時の私にははっきりした未来図は描けなかった。

よく、1軍で大成した選手は若い頃によく練習をした、ものすごく努力していたという話を耳にするが、私がコーチとして選手と接してきた期間を振り返ると、感想は少し違う。

本文残り70% (2505文字/3567文字)

1959年(昭34)10月24日、千葉・習志野出身。
関東第一から77年のドラフト6位で日本ハム入団。93年に初のベストナイン、ゴールデングラブ賞を受賞。
93年オフ、巨人長嶋監督からFA移籍でのラブコールを受け(日本ハムに残留)、96年オフには、当時の王監督(現会長)から直接電話でダイエー(現ソフトバンク)移籍を決断。07年から中日落合監督に請われて入閣した。
ONと落合氏から高く評価された捕手だが、田村氏はそうした経緯について「自分から人に話すことではない」というスタンスをかたくなに守る。42年間のプロ野球生活を経て解説者に。プロ通算1552試合出場、1123安打、110本塁打。