【吉田輝星】酷暑も味方に回復急「手術したら前よりも良くなるんだ」ポジ思考も味方に

今回の田村藤夫氏の「プレミアムリポート」は、久しぶりにオリックス吉田輝星投手(24=金足農)です。8月26日、真夏日の大阪を訪ね、舞洲で元気にリハビリに取り組む吉田投手を取材してきました。

今年2月のキャンプ以来の取材となりましたが、田村さんには驚きの連続だったようです。どうぞ、最後までご覧ください。

プロ野球


◆吉田輝星(よしだ・こうせい)2001年(平13)1月12日生まれ、秋田県出身。小3から野球を始め、金足農1年夏からベンチ入り。3年夏は、秋田大会から甲子園準決勝まで10試合連続完投勝ち。決勝では大阪桐蔭に敗れたが、金農旋風を巻き起こした。18年ドラフト1位で日本ハムに入団。19年6月12日広島戦で初登板初勝利。23年11月に黒木優太とのトレードでオリックスに移籍。24年には、22年のキャリアハイ51登板に迫る50登板で4勝0敗、14ホールド。175センチ、83キロ。右投げ右打ち。


◆田村藤夫(たむら・ふじお)1959年(昭34)10月24日、千葉・習志野出身。関東第一から77年のドラフト6位で日本ハム入団。93年に初のベストナイン、ゴールデングラブ賞を受賞。93年オフ、巨人長嶋監督からFA移籍でのラブコールを受けたが、日本ハムに残留。96年オフには、ダイエー(現ソフトバンク)王監督から直接電話を受け、移籍を決断した。07年からは、中日の落合監督に請われ入閣。捕手としてONと落合氏から高く評価されたが、本人は「自分から人に話すことではない」とのスタンスをかたくなに守る。42年間のプロ野球生活を経て解説者に。通算1552試合出場、1123安打、110本塁打。@tamu2272

■「大阪まで来ていただいて、ありがとうございます」

優に気温35度を超える厳しい日差しを浴びながら、私は度肝を抜かれる思いで、吉田の練習風景を眺めていた。

2月上旬、自信なさげに暗い表情で宮崎・清武のブルペンで投げていた雰囲気から一変していた。はつらつとした吉田の動きに、トミー・ジョン手術によって、こうも変わるものかと、驚かずにはいられなかった。

何よりもびっくりさせられたのは、キャッチボールだった。塁間よりもはるかに長い距離、およそ40メートルほどか。吉田は気持ち良さそうに投げている。彼の球筋を見るのは久しぶりだったのだが、何の不安もない時のような、明るい性格がそのまま乗り移ったかのような、生きのいいボールを投げている。

酷暑が幸いしているのだろうか、のびのびと腕を振っている。キャッチボールの距離を少しずつ縮めながら、力を緩めない。最後は15メートルほどか、ほとんど全力に近いボールを相手に目がけ投げている。3月にトミー・ジョン手術を受けた24歳とは思えない。まるで伸び盛りの右腕が、右肩上がりに成長しているその過程を見ているような錯覚すら覚えた。

キャッチボールを終えた吉田と少しだけ言葉を交わすチャンスがあった。もちろん、明るい表情はこれまで通り、気さくな様子で取材に応じてくれた。


田村久しぶりだね、元気そうだ。

吉田お久しぶりです。大阪まで来ていただいて、ありがとうございます。

田村キャッチボール見てたよ。順調そうだね。

吉田はい、ありがとうございます。はい、とても順調です。

田村すごいな。かなり力を入れて投げていたみたいだけど。

吉田はい。いい感じで投げられています。

田村球速、出ていそうだったぞ。

吉田そうですね。最後は、僕の感覚ですけど、140キロくらい出ていたと思います。

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1959年(昭34)10月24日、千葉・習志野出身。
関東第一から77年のドラフト6位で日本ハム入団。93年に初のベストナイン、ゴールデングラブ賞を受賞。
93年オフ、巨人長嶋監督からFA移籍でのラブコールを受け(日本ハムに残留)、96年オフには、当時の王監督(現会長)から直接電話でダイエー(現ソフトバンク)移籍を決断。07年から中日落合監督に請われて入閣した。
ONと落合氏から高く評価された捕手だが、田村氏はそうした経緯について「自分から人に話すことではない」というスタンスをかたくなに守る。42年間のプロ野球生活を経て解説者に。プロ通算1552試合出場、1123安打、110本塁打。