自撮りがメキメキ上達する田村藤夫さん、鎌ケ谷で見つけたハム伏見寅威の心中を深読み

田村藤夫氏(65)の「プレミアムリポート」は、予想外の展開となりました。シーズン終盤の9月28日、ファーム取材で訪れた鎌ケ谷スタジアム(日本ハム2―8ヤクルト)で、1軍にいるはずの伏見寅威捕手(35=東海大四―東海大)と偶然遭遇し、急きょのインタビューとなりました。今春2月15日に、沖縄・名護で取材して以来となります。1軍はCSに備えている最中、2軍でスタメンマスクをかぶる真意を聞きました。

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◆伏見寅威(ふしみ・とらい)1990(平2)5月12日、北海道・千歳市生まれ。江別小3年から投手、遊撃手で野球を始め、江別一中時代に所属した札幌白石シニアで捕手転向。東海大四(現東海大札幌)では3年春に全道制覇も甲子園出場なし。東海大では1年春から首都大学リーグに出場し、2年春に4番で首位打者とMVPを獲得し、大学日本代表にも選出。12年ドラフト3位でオリックス入団。19年には左アキレス腱(けん)断裂の大けがを負ったが、翌20年に復帰。22年はオリックスの26年ぶり日本一に貢献した。22年11月に日本ハムにFA移籍。昨季は62試合に出場し、打率2割4分2厘、0本塁打、21打点。プロ通算569試合で打率2割3分2厘、19本塁打、131打点。182センチ、87キロ。右投げ右打ち。今季推定年俸1億円。


◆田村藤夫(たむら・ふじお)1959年(昭34)10月24日、千葉・習志野出身。関東第一から77年のドラフト6位で日本ハム入団。93年に初のベストナイン、ゴールデングラブ賞を受賞。93年オフ、巨人長嶋監督からFA移籍でのラブコールを受けたが、日本ハムに残留。96年オフには、ダイエー(現ソフトバンク)王監督から直接電話を受け、移籍を決断した。07年からは、中日の落合監督に請われ入閣。捕手としてONと落合氏から高く評価されたが、本人は「自分から人に話すことではない」とのスタンスをかたくなに守る。42年間のプロ野球生活を経て解説者に。通算1552試合出場、1123安打、110本塁打。@tamu2272

■「不安な部分もありましたから、自分から2軍の試合に」

田村あれ? お疲れさま。どうした?

伏見あ、こんにちは。お疲れさまです。キャンプ以来ですね。

田村ああ、そうだね。覚えててくれたんだ。

伏見はい、もちろんですよ!

田村リーグ優勝、惜しかったな。

伏見はい、相手が強かったです。うちも負けなかったんですが、相手が負けませんでした。

田村そうだよな。ハムも負けなかったし。

伏見はい。

田村ハムも80勝してるものな。

伏見はい、そうなんですよ。

田村80勝して優勝できないなんて、あまり聞いたことないよ。

伏見そうですよね。悔しいですけど…ソフトバンクが強かったです。

田村ほんとうに、そうだな。それにしても、今日はどうしたんだ? どうしてこっちにいるの?

伏見はい、実はこのところあまり試合に出ていなかったものですから。

田村ああ、そうだよな。

伏見はい。それで、これからCSもありますし、そこで出番が巡ってきた時に、不安な部分もありましたから、自分から2軍の試合に出させてもらえませんかと、お願いしました。

こんな時期に、鎌ケ谷で伏見の試合を見るなんて…田村さんは状態チェックをしながら、自らの経験に踏まえてベテランの心中を推測します。日本ハムの強さが垣間見えるベテランの行動。有料会員登録でお楽しみください。

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1959年(昭34)10月24日、千葉・習志野出身。
関東第一から77年のドラフト6位で日本ハム入団。93年に初のベストナイン、ゴールデングラブ賞を受賞。
93年オフ、巨人長嶋監督からFA移籍でのラブコールを受け(日本ハムに残留)、96年オフには、当時の王監督(現会長)から直接電話でダイエー(現ソフトバンク)移籍を決断。07年から中日落合監督に請われて入閣した。
ONと落合氏から高く評価された捕手だが、田村氏はそうした経緯について「自分から人に話すことではない」というスタンスをかたくなに守る。42年間のプロ野球生活を経て解説者に。プロ通算1552試合出場、1123安打、110本塁打。