【頑張れ 受験生】医師免許を持つプロ野球選手に聞く超・文武両道論〈特別編〉

プロ野球ウエスタン・リーグのくふうハヤテベンチャーズ静岡でプレーした竹内奎人さん(26)が整形外科医を目指す、第2の人生をスタートさせました。医師国家試験に合格した異色の投手として注目されましたが、今年9月、現役を引退。NPB(12球団)のドラフト指名を受ける野球の道は断念し、医師へ転身します。現在、受験のラストスパートとなる大事な時期。野球と学業の両立を実践してきた竹内さんが、受験生らへアドバイスする「超・文武両道論」連載の特別編を送ります。

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◆竹内奎人(たけうち・けいと)1999年(平成11)5月29日、静岡県河津町生まれ。河津南小学校1年から野球を始め、河津中3年時には伊東シニアでプレーし、侍ジャパンU―15日本代表に選出され、世界大会に出場した。静岡高時代は3年春、選抜甲子園に出場。2回戦で現中日根尾らを擁する大阪桐蔭に敗れた。群馬大学医学部時代は準硬式野球部でプレー。くふうハヤテベンチャーズ静岡では4月11日の阪神戦でプロ初勝利を挙げるなど、通算58試合に登板し、3勝8敗。181センチ、83キロ。

■「本当に幸せな野球人生でした」未練なし

9月28日のシーズン最終戦。引退セレモニーで同僚の手で宙を舞い、花束を手にした竹内さんは、野球への未練はなかったという。

「野球はやりきることができました。阪神戦でのプロ初勝利が一番の思い出。阪神ファンでしたから、感慨深いものがあります。大好きな静岡で、たくさんの方々に応援していただいた。最後は『もっと見たかったよ』と惜しむ声をいただき、本当に幸せな野球人生でした」。

今季はリリーフ投手として活躍。4月11日の阪神戦では、先発投手の体調不良で2回2死満塁のピンチから急きょ救援。2回3分の1を無失点に抑え、プロ初勝利を飾った。31試合に登板し、3勝2敗、防御率3・23。プロでも通用することを証明した。

しかし、10月23日のドラフト会議を待たずに、自ら引退の道を選んだ。決断は早かった。

引退セレモニーでチームの同僚に胴上げされる (本人提供)

引退セレモニーでチームの同僚に胴上げされる (本人提供)

「(NPBの)ドラフトで指名を受けることを目標にやってきましたが、2年間プレーし、2軍では通用しても、その上では厳しいということを痛感しました。ここが引き際だと感じました。野球は2年間と決めていましたから」

野球界から医学界へ。現在は医師を目指す上で、「次の人生への猶予期間にしています。気持ちを整理し、趣味のゴルフなどで少しリラックスして、医師へのスイッチを入れていきたい。何か貢献したいという気持ちで、今は中学、高校生の家庭教師もやっています」と充電期間にしている。

来年4月からは「臨床初期研修」のため、静岡市内の総合病院に勤務。グラウンドから医療現場へと働く場所を移す。

群馬大学医学部の受験、医師国家試験など、難関を乗り越えてきた。文武両道を実践してきた経験から、「僕の経験で良ければ、ぜひ参考にしてください」とアドバイスしてもらった。

■「自分を信じて、ぶれないでやることが大事」

―受験のラストスパートへ入るこの時期、どのようなことを意識すべきなのでしょうか

竹内さん模擬試験など数をこなす時期で、偏差値など、他者と比べて、現在地への不安を覚えたりします。

僕も、このままじゃ厳しいんじゃないか、と不安になるということを経験してきました。

そこで本来の目的だとか、現状で取り組んでいることから、離れてしまいがちになる。

ですが、自分を信じて、ぶれないで真っすぐ取り組むことが大事。あれもこれもと思って、結局、どれも中途半端になってしまう危険性があるので、そこは注意した方がいいです。

もちろん、このままで大丈夫なのか、本当に合格できるのかなという不安は誰にでもあると思う。

■「不安を打ち消す要素はそれまでの積み重ね」

―失敗したら、どうしよう。落ちたらどうしようというネガティブな心境になったら

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平井勉Tsutomu Hirai

Kumamoto

1967年、熊本市生まれ。1990年に入社し、プロ野球の西武、ヤクルト、巨人などを担当。米ロサンゼルス支局時代には大リーグを担当し、野茂英雄、イチローらを取材した。
野球デスク、野球部長、経営企画本部長などをへて現職。著書「清原和博 夢をつらぬく情熱のバッター」(旺文社)「メジャーを揺るがす大魔神 佐々木主浩」(旺文社)がある。