【田中刑事(中)】「一番の危機感が同期」羽生結弦、日野龍樹と競うかけがえのない日々

日刊スポーツ・プレミアムでは毎週月曜に「氷現者」と題し、フィギュアスケートに関わる人物のルーツや思いに迫っています。

シリーズ第43弾はコーチやプロスケーターとして活躍し、現役時代は2018年平昌五輪に出場した田中刑事さん(30)が登場しています。

3回連載の中編では羽生結弦さん(30)、日野龍樹さん(30)という同世代のライバルと高め合った現役時代を振り返ります。(敬称略)

フィギュア

◆田中刑事(たなか・けいじ)1994年(平6)11月22日、岡山・倉敷市生まれ。小1からスケートに親しみ、小3から林祐輔コーチに師事。羽生結弦、日野龍樹ら同期と、小学生時代から全国大会でしのぎを削った。11年世界ジュニア選手権銀メダル、全日本選手権は16年から2位、2位、3位。18年平昌五輪に出場し、世界選手権は17年から4季連続で出場権を獲得した。21~22年シーズン限りで現役引退し、コーチ、プロスケーターとして活躍。刑事の名は「正義感強く育って欲しい」と父が命名。172センチ。

2005年からの3年間、全日本ノービス選手権で珍しい現象が起きていた。

◆2005年(=埼玉・東武川越スケートセンター、ノービスB男子)


〈1〉日野龍樹(明治神宮外苑FSC)76・80点
〈2〉羽生結弦(勝山フィギュアクラブ)67・44点
〈3〉田中刑事(倉敷FSC)65・00点

◆2006年(=岡山・ウェルサンピア倉敷、ノービスA男子)


〈1〉日野龍樹(明治神宮外苑FSC)86・56点
〈2〉田中刑事(倉敷FSC)80・50点
〈3〉羽生結弦(勝山フィギュアクラブ)71・03点

◆2007年(=青森・新井田インドアリンク、ノービスA男子)


〈1〉羽生結弦(宮城FSC)103・87点
〈2〉田中刑事(倉敷FSC)102・50点
〈3〉日野龍樹(武蔵野学院)99・23点

1年に1度用意された大舞台。2006年にいたっては、スケート年齢で1歳上の選手たちとの競演だった。

それでも表彰台を、同い年の3人で独占していた。

田中は今、境遇をかみしめた。

「いい先輩、ライバルに恵まれたスケート人生でした。誰1人欠けても、成り立たない。岡山のライバルもいたし、全国の同期のライバル、先輩にも目標がいました。だから、ずっとぶれることなく、戦ってこられた。誰もいなかったら、こうはならなかったです」

左から羽生結弦、田中刑事、日野龍樹(2016年11月24日撮影)

左から羽生結弦、田中刑事、日野龍樹(2016年11月24日撮影)

少林寺拳法からスケートへ

1994年11月22日、岡山県の倉敷市で生まれた。

家庭用ゲーム機「セガ・サターン」の発売日と同じ日。翌12月には「プレイステーション」が発売され、日本の日常に新たな景色が生まれ始めていた。

「刑事」と名付けた田中の父は、自宅で少林寺拳法を教えていた。自らも物心がついたころから打ち込み、それが日常だった。

「その道にいってほしかったんだと思います。でも、僕はピンときていませんでした。母が少林寺拳法に加えて習い事を習わせたいと考えてくれて、走り幅跳びだったりもしたそうですが、あまり記憶がないです」

通っていた倉敷市立連島神亀(つらじましんき)小学校の校区の山手に、ウェルサンピア倉敷(現ヘルスピア倉敷)があった。

倉敷市ヘルスピア倉敷アイスアリーナ(2010年2月19日撮影)

倉敷市ヘルスピア倉敷アイスアリーナ(2010年2月19日撮影)

小学1年生の冬に初めて氷に乗ると、他の習い事とはひと味違った楽しさを実感した。

母は厳しく導いてくれた。

初めは手をつなぎながら一緒に滑り、練習に身が入らない時には諭された。小学3年生となり、そこから二人三脚で進むコーチの林祐輔に教わり始めた。

倉敷ではたびたび、高橋大輔のコーチとして知られる長光歌子が教え子を連れて合宿を張っていた。

「そこで男の先輩たちを見て、子ども心ながら『僕もあそこ(大阪)に行きたい』と思い始めました」

林の拠点である大阪へと足を運ぶ機会が増えた。先輩たちの姿に導かれ、新しいジャンプを跳ぶことが、何よりのモチベーションだった。

転機になった野辺山合宿

地域の競技会は、多くても男子6人ほどで争う小さな規模だった。

隣の岡山市には、2歳上の坪井遥司がいた。

のちにジュニアグランプリ(GP)シリーズにも出場するライバルは「負けたくない」とスイッチを入れてくれる存在だった。

「男子が多くなかったので、坪井くんがいたことは大きかったです。地方大会で優勝をしても、その世界しか分からない。優勝して『次も頑張ろう』という感じでした。そこから初めて野辺山に行って『そんなに下ではないな。でも、上でもないな』と自分で立ち位置を察しました」

ライバルに刺激を受けながら、ジャンプを習得していった田中刑事さん(田中さん提供)

ライバルに刺激を受けながら、ジャンプを習得していった田中刑事さん(田中さん提供)

小学4年生の夏。長野・野辺山での、全国有望新人発掘合宿は転機になった。

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大学までラグビー部に所属。2013年10月に日刊スポーツ大阪本社へ入社。
プロ野球の阪神を2シーズン担当し、2015年11月から西日本の五輪競技やラグビーを担当。
2018年平昌冬季五輪(フィギュアスケートとショートトラック)、19年ラグビーW杯日本大会、21年東京五輪(マラソンなど札幌開催競技)を取材。
21年11月に東京本社へ異動し、フィギュアスケート、ラグビー、卓球、水泳などを担当。22年北京冬季五輪(フィギュアスケートやショートトラック)、23年ラグビーW杯フランス大会を取材。
身長は185センチ、体重は大学時代に届かなかった〝100キロの壁〟を突破。体形は激変したが、体脂肪率は計らないスタンス。