【プロ注目球児が歩む異色の経歴〈中〉】ラグビー転向、1年半で代表候補合宿に招集

プロ注目だった高校球児は、ラグビー、そしてアメリカンフトッボールへと戦いの場を移した。アクシデントに負けず、ひたすら前へ進む黒川ラフィの物語。夢を追うのに終わりはない。上中下編の中。(21年9月28日配信。年齢、所属など当時)

ラグビー

7人制日本代表としての活動を行い、記念写真に納まる黒川ラフィ(前列右から2人目)(本人提供)

7人制日本代表としての活動を行い、記念写真に納まる黒川ラフィ(前列右から2人目)(本人提供)

元日本代表SH村田亙に誘われ

プロ野球選手を目指す思いと対照的に、自慢だった左腕は悲鳴を上げていた。

手術後の痛みの再発は、専修大野球部2年だった黒川ラフィの心身にダメージを与えた。

また陸上のトラックを黙々と走る日々が始まった。

「なぁ、ラフィ…」

同じように走るしかなかった1年前、そう声をかけられたことを思い出した。

走りながら、いつも目にする光景があった。トラック内側のフィールドで、ラグビー部が楕円(だえん)球を追っていた。指導するのは元日本代表の名スクラムハーフ(SH)、村田亙監督(53)だった。

大学までラグビー部に所属。2013年10月に日刊スポーツ大阪本社へ入社。
プロ野球の阪神を2シーズン担当し、2015年11月から西日本の五輪競技やラグビーを担当。
2018年平昌冬季五輪(フィギュアスケートとショートトラック)、19年ラグビーW杯日本大会、21年東京五輪(マラソンなど札幌開催競技)を取材。
21年11月に東京本社へ異動し、フィギュアスケート、ラグビー、卓球、水泳などを担当。22年北京冬季五輪(フィギュアスケートやショートトラック)、23年ラグビーW杯フランス大会を取材。
身長は185センチ、体重は大学時代に届かなかった〝100キロの壁〟を突破。体形は激変したが、体脂肪率は計らないスタンス。