鉄人が砕け散った日〈8〉深刻なホームシックと、無敵王者がすがった睡眠療法

プロボクシング4団体統一世界スーパーバンタム級王者の井上尚弥（30＝大橋）が5月6日、東京ドームで元2階級制覇王者ルイス・ネリ（メキシコ）と防衛戦を行う。

同会場でのプロボクシング興行は1990年2月11日の統一世界ヘビー級王者マイク・タイソン（米国）の防衛戦以来、実に34年ぶり。

「アイアン」（鉄人）の異名で史上最強と呼ばれたタイソンは、井上と同じように圧倒的な勝利で無敗のまま王座を統一したが、東京ドームで挑戦者ジェームス・ダグラス（米国）に10回KO負けした。この一戦は“世紀の大番狂わせ”として今も世界で語り継がれる。

あの時、全盛期の無敗王者にいったい何が起きていたのか。なぜ伏兵に無残な敗北を喫したのか。来日から敗戦までの27日間、タイソンに密着取材した筆者の取材ノートをもとに、34年前にタイムスリップしてタイソンの鉄人神話崩壊までをたどる。

第8回は「深刻なホームシックと、無敵王者がすがった睡眠療法」（敬称略）

ボクシング2024.04.01 11:00

首藤正徳

5・6東京ドーム興行に向けて、井上が「ノーモア・タイソン」と強く意識する「世紀の大番狂わせ」―34年前を週2回連載で振り返ります

鉄人が砕け散った日

タイソン（左から2人目）の練習を見学に訪れた長嶋茂雄氏（1990年2月6日）

ゲスト解説、長嶋茂雄氏

決戦まで1週間を切って、タイソンにようやく「らしさ」が戻ってきた。

1990年2月5日、東京・後楽園特設ジムで2日ぶりに練習を再開した。

スパーリングでは元WBC王者のトレーバー・バービック（米国）を。開始からパワフルな連打で圧倒した。動きの重かったこれまでと比べて、ステップやパンチにスピードが戻ってきているようだった。

最終4ラウンドに強烈なボディーブローを脇腹に食って戦意喪失したバービックは「最後のパンチは見えなかった。今日はすごいパワーだ」と顔をしかめて言った。

スパーリングパートナーのバービック（左）を圧倒するタイソン（1990年2月6日）

翌6日の練習でも左右の速射砲でバービックを終始ロープにくぎ付けにした。これまで目立っていた不用意に飛び込んでからの強引な大振りもほとんどなくなり、パンチの精度も上がったようだった。

「これまでのスパーリングで一番出来がいい。連打が出るのはスピードが戻ってきた証拠」と、試合を中継する日本テレビで解説する元WBC世界スーパーライト級王者の浜田剛史氏も、少し安堵（あんど）したような表情を見せた。

同じく日本テレビでゲスト解説を務める長嶋茂雄氏も「マイクさんのニュートラルな状態（普通の状態）は分からないですが、パンチ力はすごいですね。ラッシュをかけて早く倒すのがマイクさんのセールスポイントですけど、試合では4、5ラウンドは見たいですね」と、報道陣の取材に答えた。

ただスパーリングパートナーが、タイソンをダウンさせた相性の悪いグレグ・ペイジから、バービックに変更されたことが私は少し気になった。

バービックはタイソンが86年に2回TKOで最初に世界王座を奪った相手。相性は悪くないし、ペイジよりも不器用でスピードにも欠けていた。

調子が上がらない王者に合わせて、パートナーのレベルを下げたようにも思えた。

タイソン（手前左から2人目）の練習を見学に訪れた長嶋茂雄氏（1990年2月6日）

タイソンからの意外な吐露

復調の兆しが見えた直後、新たな問題が発覚した。

7日の午前中に行われた、米3大ネットワークのNBCをはじめとする約20人ほどの海外記者団の取材で、タイソンが深刻なホームシックにかかっていることが判明した。

本文残り69％　（2754文字／4009文字）

keywords

#【首藤正徳】 #タイソン #鉄人が砕け散った日 #井上尚弥 #東京ドーム #連載第8回 #ボクシング

スポーツ

首藤正徳Masanori Syuto

1988年入社。ボクシング、プロレス、夏冬五輪、テニス、F1、サッカーなど幅広いスポーツを取材。有森裕子、高橋尚子、岡田武史、フィリップ・トルシエらを番記者として担当。
五輪は1992年アルベールビル冬季大会、1996年アトランタ大会を現地取材。
2008年北京大会、2012年ロンドン大会は統括デスク。
サッカーは現場キャップとして1998年W杯フランス大会、2002年同日韓大会を取材。
東京五輪・パラリンピックでは担当委員。