鉄人が砕け散った日〈12〉さび付いていたKOマシン、火を吹いたダグラスの秘密兵器

プロボクシング4団体統一世界スーパーバンタム級王者の井上尚弥(31=大橋)が5月6日、東京ドームで元2階級制覇王者ルイス・ネリ(メキシコ)と防衛戦を行う。

同会場でのプロボクシング興行は1990年2月11日の統一世界ヘビー級王者マイク・タイソン(米国)の防衛戦以来、実に34年ぶり。

「アイアン」(鉄人)の異名で史上最強と呼ばれたタイソンは、井上と同じように圧倒的な勝利で無敗のまま王座を統一したが、東京ドームで挑戦者ジェームス・ダグラス(米国)に10回KO負けした。この一戦は“世紀の大番狂わせ”として今も世界で語り継がれる。

あの時、全盛期の無敗王者にいったい何が起きていたのか。なぜ伏兵に無残な敗北を喫したのか。来日から敗戦までの27日間、タイソンに密着取材した筆者の取材ノートをもとに、34年前にタイムスリップしてタイソンの鉄人神話崩壊までをたどる。

第12回は「さび付いていたKOマシン、火を吹いたダグラスの秘密兵器」(敬称略)

ボクシング

5・6東京ドーム興行に向けて、井上が「ノーモア・タイソン」と意識する「世紀の大番狂わせ」―34年前を週2回連載で振り返ります

WBA・IBF・WBC世界ヘビー級タイトルマッチ 初回からダグラス(右)の右ストレートを浴びるタイソン(1990年2月11日)

WBA・IBF・WBC世界ヘビー級タイトルマッチ 初回からダグラス(右)の右ストレートを浴びるタイソン(1990年2月11日)

Round2

2回終了後、赤コーナーのタイソン陣営から、いら立ちの声が聞こえてきた。

「もっとジャブを使え」「約束事ができていない」「フォーメーションが違うぞ」

1990年2月11日、東京ドームでの統一世界ヘビー級タイトルマッチ。

タイソンは1回から動きが重く、連打が出ない。

強振するパンチは単発で、ダグラスに届かない…。

いつもなら上体を素早く前後左右に振って、相手のパンチをそらして懐に飛び込み、左右の強打を一気にたたきつける。

その一連の動作は見とれるほど滑らかで、恐ろしく速い。

この防御と攻撃が一体となったKOマシンのような本来のボクシングを、タイソンは見失っていた。

起動となる上体の振りがないので、その後の鋭いステップインへと続かず、パンチを出すタイミングも遅れてしまう。

2回残り30秒から、挑戦者ダグラスの強烈な右ストレートと右アッパーを浴びて防戦一方になった。

まだ2回を終えたばかりだが、想定外の劣勢に、早くも王者のセコンドは混乱していた。

接近戦で打ち合うダグラス(左)とタイソン

接近戦で打ち合うダグラス(左)とタイソン

Round3

3回開始からタイソンが強引に前に出た。

30秒すぎ、突進して右強打を振り回した瞬間、挑戦者のやりのような右ストレートが顔面を痛打した。

無敵王者の膝が、グラリと揺れた。

鉄人と呼ばれる男が自ら挑戦者の体にしがみつき、クリンチで急場をしのいだ。

依然として攻防一体となった精密機械のような動きも、身上のスピードも、パンチの切れもない。

タイソンがただの凡庸なボクサーに見えてきた。

ラウンド終了間際、タイソンの右フックが挑戦者の顔面をとらえたが、ダグラスは表情ひとつ変えずコーナーに戻った。

序盤の3回を終えて、ダグラスの作戦がおぼろげながら見えてきた。

強い左ジャブでタイソンの進入を防ぎ、頭を低くして飛び込んでくるタイミングで、右アッパーを突き上げる。

この右アッパーが強烈で、王者の顔面と腹を何度もえぐり上げた。しかも、相手との距離によってロングとショートの2種類。

試合前の公開練習では、これほど強く振り抜く右アッパーは、ほどんど見せていなかった。

1週間前、精彩を欠いたスパーリング後、ダグラスが語っていた言葉を思い出した。

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1988年入社。ボクシング、プロレス、夏冬五輪、テニス、F1、サッカーなど幅広いスポーツを取材。有森裕子、高橋尚子、岡田武史、フィリップ・トルシエらを番記者として担当。
五輪は1992年アルベールビル冬季大会、1996年アトランタ大会を現地取材。
2008年北京大会、2012年ロンドン大会は統括デスク。
サッカーは現場キャップとして1998年W杯フランス大会、2002年同日韓大会を取材。
東京五輪・パラリンピックでは担当委員。