鉄人が砕け散った日〈9〉大遅刻の記者会見、そして挑発と反抗…荒廃したの心の闇

プロボクシング4団体統一世界スーパーバンタム級王者の井上尚弥(30=大橋)が5月6日、東京ドームで元2階級制覇王者ルイス・ネリ(メキシコ)と防衛戦を行う。

同会場でのプロボクシング興行は1990年2月11日の統一世界ヘビー級王者マイク・タイソン(米国)の防衛戦以来、実に34年ぶり。

「アイアン」(鉄人)の異名で史上最強と呼ばれたタイソンは、井上と同じように圧倒的な勝利で無敗のまま王座を統一したが、東京ドームで挑戦者ジェームス・ダグラス(米国)に10回KO負けした。この一戦は“世紀の大番狂わせ”として今も世界で語り継がれる。

あの時、全盛期の無敗王者にいったい何が起きていたのか。なぜ伏兵に無残な敗北を喫したのか。来日から敗戦までの27日間、タイソンに密着取材した筆者の取材ノートをもとに、34年前にタイムスリップしてタイソンの鉄人神話崩壊までをたどる。

第9回は「大遅刻の記者会見、そして挑発と反抗…荒廃したの心の闇」(敬称略)

ボクシング

5・6東京ドーム興行に向けて、井上が「ノーモア・タイソン」と強く意識する「世紀の大番狂わせ」―34年前を週2回連載で振り返ります

タイソン-ダグラスの公式記者会見に海外からも大勢のメディアが詰め掛けた(1990年2月8日)

タイソン-ダグラスの公式記者会見に海外からも大勢のメディアが詰め掛けた(1990年2月8日)

WBA・IBF・WBC統一戦3日前

1990年2月8日、東京・紀尾井町のホテルニューオータニで、3日後に迫った統一世界ヘビー級タイトルマッチの公式記者会見が行われた。

会場は200人を超える報道陣で埋まった。

うち半数が米国、英国、フランス、スペイン、西ドイツ、オーストラリアなど10カ国に及ぶ海外のメディアで、その大半は約30社が取材登録していた米メディアだった。

予定は午後3時開始。

挑戦者ジェームス・ダグラス(米国)は5分前に、グレーのスーツに身を固めて、ひな壇に座った。

ところが、定刻を過ぎても主役のタイソンは一向に姿を現さない。

5分、10分……じりじりと時間が経過する。

ダグラスは仕方なく、会場の前列に座っていた愛息ラマー君(11)を壇上に呼び寄せて時間をつぶした。

25分後、ようやくTシャツにジーパンというラフな格好で現れたタイソンは、不機嫌だった。

WBA・IBF・WBC世界ヘビー級タイトルマッチ合同記者会見に大遅刻したタイソン(左)と、ダグラス(右から2人目)。左から2人目はドン・キング(1990年2月8日)

WBA・IBF・WBC世界ヘビー級タイトルマッチ合同記者会見に大遅刻したタイソン(左)と、ダグラス(右から2人目)。左から2人目はドン・キング(1990年2月8日)

遅刻に悪びれるでもなく、壇上に座ると、まるでやる気のないそぶりで大あくびをして、ヘッドホンステレオの音楽に合わせて机をたたいた。

そのふてぶてしい面構えと態度が、整然とした公式会見場の空気をかき乱した。

そこにいたのは、来日以来、日本の報道陣に見せていた友好的な王者とはまるで違う男だった。

それでも日本人記者の代表質問には「パーフェクトに仕上がっている」「KOはまったく意識していない」「勝つことだけを考えている」と真面目に、しかし、決定的に中身のない模範解答を返した。

態度を一変させたのは、米国人記者に質問が移った直後だった。

タイソンは急に挑発的で反抗的な目つきに変わった。

「スパーリングでダウンしたのは王者らしくないが」という、いささか意地の悪い質問に「オレが倒れてやったのさ、試合がより面白くなるだろう」と、小ばかにしたような口ぶりで答えた。

同じ米国の女性記者から精神科医を同行させた理由を問われると、英語では極めて俗悪な表現を口にして、品のない薄笑いを浮かべてみせた。

その表情の奥に、何か根深い恨みを含んでいるように見えた。

WBA・IBF・WBC世界ヘビー級タイトルマッチ合同記者会見中、イヤホンで耳をふさぐタイソン(左から2人目)。中央はドン・キング、右はダグラス(1990年2月8日)

WBA・IBF・WBC世界ヘビー級タイトルマッチ合同記者会見中、イヤホンで耳をふさぐタイソン(左から2人目)。中央はドン・キング、右はダグラス(1990年2月8日)

その後、彼は心を閉ざすように、会見中にもかかわらず再びヘッドホンで耳をふさぎ、机をたたいてリズムを取った。

彼の言動には「お前らの質問にまともに答えるものか」という、かたくなな決意のようなものが、ふつふつとにじんでいた。

憎悪と敵意がむき出しになった会見場は、何ともいたたまれない、とげとげしい空気に包まれた。

いったい何がタイソンの心をここまで荒廃させたのか――

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1988年入社。ボクシング、プロレス、夏冬五輪、テニス、F1、サッカーなど幅広いスポーツを取材。有森裕子、高橋尚子、岡田武史、フィリップ・トルシエらを番記者として担当。
五輪は1992年アルベールビル冬季大会、1996年アトランタ大会を現地取材。
2008年北京大会、2012年ロンドン大会は統括デスク。
サッカーは現場キャップとして1998年W杯フランス大会、2002年同日韓大会を取材。
東京五輪・パラリンピックでは担当委員。