【異端監督の組織論/2】町田・黒田剛と「昭和のカリスマ」 強烈な個性との出会い

FC町田ゼルビア監督、黒田剛(54)の組織マネジメントを考察する。物事をはっきりさせる上でルール作りが大事になると説いた1回目に続き、2回目は忖度(そんたく)しない物言い、物事に白黒はっきりつける手法はどうやって磨かれたものなのか? 教員生活で育まれた「原点」を掘り下げることで、その特異なリーダーシップについて考えます。(敬称略)

サッカー

 
 

町田就任1年目でJ2優勝
J1昇格1年目で優勝争い3位

黒田剛(くろだ・ごう)1970年(昭45)5月26日生まれ、札幌市出身。登別大谷(現北海道大谷室蘭)-大阪体育大。卒業後、北海道のリゾートホテル勤務を経て、94年に青森山田高のコーチに就任。95年から監督を務め、雪国のハンディを克服し、チームを常勝軍団へと育て上げた。全国総体は2度(05、21年)、全国選手権は3度(16、18、21年度)の優勝。21年度は3冠。23年にJ2だった町田の監督に就任し、1年目で優勝。2年目の24年もJ1で3位と躍進。家族は夫人と1男1女。

24年 J1上位順位表


順位チーム勝点試合勝数分け敗数得点失点得失差
1神戸72382198613625
2広島683819118724329
3町田663819910543420
4G大阪663818128493514
5鹿島653818119604119
02年11月、青森山田・DF千葉貴仁(中央)のC大阪仮契約会見に臨む、左から黒田剛監督と木村隆文理事長

02年11月、青森山田・DF千葉貴仁(中央)のC大阪仮契約会見に臨む、左から黒田剛監督と木村隆文理事長

青森山田をスポーツ強豪校に育てた男

   

黒田が長年勤務した学校法人青森山田学園には、正真正銘のカリスマがいた。

木村隆文(1940年1月2日~2011年11月28日没)。

学園の校長や理事長を務め、青森山田高を野球、サッカー、卓球、バドミントンなどスポーツの強豪校に育てた。

「体操、卓球、ブラスバンド。女子の卓球は素人なのに監督やって日本一にも2回くらいなっている。野球ではノックもまともにできないのに、甲子園の決勝まで行っている」

激情家であり、昭和気質なスパルタ指導だった。

「影響は受けている。あの時は憎くて憎くてしょうがなかったけど、今はもう感謝しかない。やっぱりそれくらい自分がかなわないと思った人がいたから頑張れた。どれだけ胸ぐらを捕まれたかも分からない」

10年1月、木村隆文校長に全国高校サッカー選手権の準優勝を報告する青森山田イレブン

10年1月、木村隆文校長に全国高校サッカー選手権の準優勝を報告する青森山田イレブン

学校の核になるのは体育教師

出会いからして強烈だった。リゾートホテルの仕事を辞し、母校のコーチなどを経て24歳の時に青森山田高へ赴任した。そこでの思い出は今も鮮明だ。

「一番最初に会った時に、こうやってね(手を横に添えて立って)初めまして、黒田です。って言ったら“お前、体育大学(大阪体育大)を出ているのに、気をつけの姿勢も分からないのか”って言われて。こう(指先までピンと伸ばして)されて、そこから始まった。怖っ、と思いながら」

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スポーツ

佐藤隆志Takashi Sato

Tokushima

1968年(昭43)生まれ、徳島県出身。91年入社。
希望したスポーツ部に在籍し、2010年サッカーW杯南アフリカ大会、12年ロンドン五輪など取材。デスクを経て現場に戻り、再び大好きなサッカーを取材、執筆しています。
少年時代に読売クラブのジョージ与那城のプレーに魅了され、同じくヒゲをはやしたバルデラマ(コロンビア)のトリッキーなプレーにハートをわしづかみにされる。フリット(オランダ)は憧れの偉人。好きすぎて入社後に髪型をまねたところ「ドレッド」と呼ばれたのは懐かしい思い出です。
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