迷いはなかった。研究を重ねる日々も悪くない。ただ、心のどこかに夢をしまい込みながら、勉学に打ち込んでいた。中村かなえ(29=東京)は、お茶の水女子大学理学部の大学院に通っている時、ボートレーサーになる決心を固めた。

お茶の水大卒の中村かなえがボートレース界でもトップを目指す(撮影・奈島宏樹)
お茶の水大卒の中村かなえがボートレース界でもトップを目指す(撮影・奈島宏樹)

「小学生の時、ボートレース江戸川の近くに住んでいたので、ボートレーサーになりたいと周囲に言ってたんですよ。でも、野球やサッカーと同じでその道を究めた人しか選手になれないと思っていました。大学院の時に募集の広告を見て、誰でもなれる資格があると分かって、応募しましたね」と振り返る。

小学生だった少女の心は、ボートレースのスピードと迫力に魅了された。一方で、勉強はかなりできた。屈指の名門校である都立駒場高へ進学した。文武両道という言葉が似合う高校生だった。「そこそこの進学校に通っていたので勉強もした。体育会系だったのでボートレーサーになっても、やっていけるなと思いましたね」と笑顔で話した。

テニス部で汗を流しながら、勉学にも打ち込んだ。特に数学と理科が得意だった。国公立大志望で理科は2科目勉強し、社会は地理を選択。女子大では最難関とされる、お茶の水女子大学理学部へ進学した。偏差値は70以上とも言われる超難関国立大学だ。全受験生の上位2~3%しか、その狭き門を突破することはできない。大学では化学の研究に打ち込んだ。「何となく一般企業の研究職として就職するんだなと思っていました」と明かした。

いわゆる“リケジョ”。一流企業の研究職として会社員になる人生を歩もうとしていた。その途中で出会ったボートレーサー募集の広告。思い切った決断だったが、両親からは背中を押された。「親はいつでも応援してくれます。ボートレーサーになると言った時も面白がってくれました」と当時を振り返った。

養成所の試験には合格したが、待っていたのは勉強よりはるかにきつい訓練だった。持ち前のガッツと根性で食らいついた。「男子と同じメニューをこなさないといけないし、体力的にはひたすらしんどかった。でも、1年と期間が決まっていたので、耐えることができた」と笑い飛ばした。

プロの世界は甘くない。何度も壁にぶつかった。そんな中、心の支えになったのは同期の存在だった。「私は大学院に通っている途中に養成所に入ったので、他の選手より年上ですが、みんな仲がいいですよ。みんなで食事へ行ったりすることもあります」。

そして、良き師匠にも巡り合った。理論派である桑原将光(38=東京)にレース運び、旋回、そしてペラ調整など、さまざまなアドバイスを受けA級へ昇格した。G1にも出場できる実力を身に付けた。

「あのまま大学院に残って研究をして将来、就職するというのは何となく思っていたこと。ボートレーサーには自らがなりたいと願ったことなので、やりたいことをやれていると思います。一般企業に就職するより楽しんで取り組めている」と自分の決断は間違いではないと胸を張る。デビュー当初は異色の高学歴選手として注目を集めていたが、今では屈指の攻撃力を誇る人気選手となった。「さらにレベルアップするためには大きな壁がある。それを乗り越えたい」。受験では“天下”を取った。ボートレース界でもトップを目指していく。【奈島宏樹】