4日に行われた平塚F2最終日の第6Rで加藤剛(47=神奈川)が28年間の選手生活に終止符を打った。
ここ数年は、現役選手として走る傍ら、ホームバンクの小田原では開催指導員の重責も担ってきた。
私事になるが、加藤君とは同郷の同学年。デビュー当時から思い入れは強かった。喜怒哀楽の激しい性格は、時に見ていてヒヤヒヤした。小田原開催が終わり、参加選手が宿舎に引き揚げた後、誰もいない検車場で黙々とローラー練習をする姿には尊敬の念を抱いた。
昨年、小田原競輪の存廃問題が起きた後には、一緒に市議会への傍聴にも出向き、情報交換もした。そんな加藤君から「8月に平塚が入ったからそこで辞める」と打ち明けられ、ラストランは必ず見に行こうと決めていた。
当日、レース前の検車場を訪ねると、ローラーでウオーミングアップをしていた加藤君は、こちらに気づくと「ありがとう」と言った。少し目が潤んでいたように見え、「頑張ってね」と声をかけるのが精いっぱいだった。
最後の勇姿を見届けようと集まった非参加選手たちの中には、同期の岡田剛(静岡・07年12月引退)や、尾形雅史(静岡・11年7月引退)の懐かしい顔もあった。
そして迎えた最後のレースは、「先行1車」という最高の舞台が用意されていた。
気合の表情で敢闘門を飛び出すと、レースでも持てる力をすべて出し切った。ラストランで上がりタイム11秒9の逃げ切り勝ち。競輪の神様は、生涯先行にこだわった頑固者に粋なご褒美を与えた。
レース後のセレモニーでは感極まって声を詰まらせる場面もあった。
これまで数多く選手の引退を見てきた。特にセレモニーは、その選手の人柄や生き様を顕著に映し出す。
「自分も辞めるし、小田原をホームバンクとする選手が減ってしまったことは気がかり。でも開催指導員を続けながら、これからも内側から盛り立てていきたい。1着で終われる選手人生なんて最高だったよ。こんな幸せな人間はあまりいない。やっぱり先行は楽しいね」。
加藤剛のラストシーンは、一点の曇りもない快晴だった。【松井律】