あらためて競輪場のあちらこちらを見てみたい。

今回の敢闘門は【わたくし的、競輪場探訪】。

普段は記者室と選手を取材するゾーンの往復に、これからはいつもと違う道をたどって行ってみようと思う。北は北海道から西や南は九州まで、たくさんある競輪場の中でも、まずは発祥になった地の小倉競輪場から訪ねることにした。

LED照明の設置が済んで開催の再開を待つ小倉バンク
LED照明の設置が済んで開催の再開を待つ小倉バンク

7月中旬のとある日の午後。3年ぶりに行くのに、LED照明の設置で4月から開催されてないと知る。残念っ…。それでも、名勝負が多いバンクをひと目でも見たい。JR小倉駅から北九州モノレールで3駅目の香春口三萩野で降りると、ビルの谷間から銀色がかった宇宙船のような建物が目に飛び込んだ。小倉競輪を開催する北九州メディアドーム。ずっと競輪界の最先端をいくパワーをのぞかせる。お隣には緑色が鮮やかな芝生があり、そよ風が心地よく吹き抜けてきた。人に優しい。汗がさっと乾いてまた歩き出すと、築24年でも真新しいメディアドームが目の前に迫ってきた。

モノレール香春口三萩野駅から北九州メディアドームに向かう。建物に隣接する旧競輪場があったエリアは公園が整備され、市民の憩いの場になっている
モノレール香春口三萩野駅から北九州メディアドームに向かう。建物に隣接する旧競輪場があったエリアは公園が整備され、市民の憩いの場になっている

メディアドームは老朽化した旧競輪場の代替えや、G1競輪祭を常設で開催するにふさわしく、またコンサートや国際会議など多目的に使うことをコンセプトに造られた。90年5月に競輪場として初の全天候型になった前橋ドームの後を追うように、総工費およそ400億円をかけて98年10月に完成した。屋根は、まるでサイクリストがかぶるヘルメットの形。これは設計者が未来に向かう北九州市のランドマークになるよう思いを込め、競輪の持つスピード感や風の流れがそのフォルムに表された。

旧競輪場での開催と並行して北九州メディアドームの工事が始まった(撮影96年8月=北九州市公営競技局競輪事業課より提供)
旧競輪場での開催と並行して北九州メディアドームの工事が始まった(撮影96年8月=北九州市公営競技局競輪事業課より提供)
ほぼドームの骨組みで覆い尽くされた北九州メディアドーム(撮影97年10月=北九州市公営競技局競輪事業課より提供)
ほぼドームの骨組みで覆い尽くされた北九州メディアドーム(撮影97年10月=北九州市公営競技局競輪事業課より提供)
多目的に使われて開業24年目を迎えた北九州メディアドーム(北九州市公営競技局競輪事業課より提供)
多目的に使われて開業24年目を迎えた北九州メディアドーム(北九州市公営競技局競輪事業課より提供)

今では競輪開催の他に、成人式など各種イベントや、中古車の販売、コロナウイルスのワクチン接種会場になるなど、用途はさまざま。4階にあるメインの入場口から左手には、北九州市の出身でグランプリとG1をそれぞれ2勝、12勝した吉岡稔真氏(引退)の戦いをたどるミュージアムがある。場外車券売り場のエリアは、北九州市が小倉競輪とともに若松ボートを施行している関係で、場外舟券売り場に続く。バンクでは今はLED工事が済み、ミッドナイト(F2ガールズ・7月28~30日)、吉岡稔真カップ(F1・8月1~3日)に向けて準備が進んでいる。

競輪の発祥に尽力した小倉市長・濱田良祐氏の功績を称えた碑が敷地内に設けられている
競輪の発祥に尽力した小倉市長・濱田良祐氏の功績を称えた碑が敷地内に設けられている

敷地には、故浜田良祐氏の功績をたたえた碑がある。北九州市公営競技局競輪事業課よりいただいた資料によれば、浜田氏は1948年(昭23)11月20日の競輪初開催を目指し、当時の小倉(現北九州市)市長として尽力したとのこと。

では、なぜ尽力されたのでしょう? 当時は野球への人気が高まる中、小倉中(現小倉高)が47、48年と夏の甲子園を連覇。折しも48年10月福岡国体に向けて小倉市は野球の開催を誘致したいが、希望を通すには、不人気だった自転車種目も引き受けざるを得なかった。そして、周長500メートルのバンクを急ごしらえするために、戦後から間もなく物資難でもセメントなど資材をかき集めた。総工費2000万円にのぼり、小倉市は資金繰りが課題になっていった。

一方で、レジャー事業を起こそうと衆参議員も加わった「自転車競技法期成連盟」の倉茂貞助氏(後に日本自転車振興会参与、故人)は、48年夏に競輪の法整備に奔走した。その間に初開催を、既にバンクがある埼玉県に打診したが、断られている。そして、倉茂氏と、市の財政を立て直したい浜田氏の思いが合致して、同年の小倉で初開催にいたった。

メディアドームの各場所に出没するイメージキャラクター「かねりん」。小倉のブランド牛と、打鐘、ドームの屋根をモチーフにしてデザインされた
メディアドームの各場所に出没するイメージキャラクター「かねりん」。小倉のブランド牛と、打鐘、ドームの屋根をモチーフにしてデザインされた
広く機能的な検車場。児玉碧衣は15年7月松戸デビューから2場所目で当所に初登場して決勝5着だった(優勝は小林優香)
広く機能的な検車場。児玉碧衣は15年7月松戸デビューから2場所目で当所に初登場して決勝5着だった(優勝は小林優香)
記者室の黒板には、書道家で競輪祭の告知ポスターを手掛けたことがある武田双雲による「競輪がさらに多くの人々の心を動かしますように。」とのメッセージがある
記者室の黒板には、書道家で競輪祭の告知ポスターを手掛けたことがある武田双雲による「競輪がさらに多くの人々の心を動かしますように。」とのメッセージがある

発祥の精神は、ずっと受け継がれる。初開催から3年目には、発祥した11月に「競輪祭」が第1回を迎えた。第5回から組み込まれた「新人王戦」はなくなり、G2ヤンググランプリになったが、6日制に戻った現在はガールズグランプリトライアルが始まり、並行して開催されている。

ナイター開催中に夕暮れに染まる北九州メディアドーム
ナイター開催中に夕暮れに染まる北九州メディアドーム

また、11年1月にミッドナイト競輪を初開催。公営競技で初の午後9時から深夜帯にかけてレースを行い、多くの新規ファンを集め、7車立てがスタンダードになる現在の元になった。売り上げは爆発的な伸びを見せて、今では先ごろ始まった岸和田を含め27場で開催されている。【野島成浩】

JR小倉駅。北九州メディアドームへの無料バスが発着する
JR小倉駅。北九州メディアドームへの無料バスが発着する
JR在来線ホームの立ち食いうどん。鶏肉がたっぷり入った「かしわうどん」にかき揚げをトッピング
JR在来線ホームの立ち食いうどん。鶏肉がたっぷり入った「かしわうどん」にかき揚げをトッピング

★小倉競輪の主な年表

1948年(昭23)

●7月

3日に競馬にならって作られた自転車競技法が国会で可決、8月1日に公布、施行

●11月

19日に小倉競輪場が開設、翌20日に第1回市営競輪が開幕。6車立ての1日10レース、4日制に、車券は単勝式と複勝式で発売され、売り上げは想定を上回る約1973万円。およそ5万人の来場があった

1994年

●11月

競輪祭で吉岡稔真(引退)が前人未到の3連覇

1997年

●11月

神山雄一郎が競輪祭を3連覇

1998年

●6月

旧400バンクが閉鎖

●10月

北九州メディアドームが完成

●11月

ドーム第1回の競輪祭覇者に加倉正義(福岡68期)

2011年

●1月14日

ミッドナイト競輪が2日間、7車立て、7レースでスタート。初日1Rの勝者は境博文(熊本53期、引退)、優勝は一ノ瀬匠(佐賀92期)