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メジロは生き続ける…生産事業に専念

メジロドーベル(右)とその当歳(父ゼンノロブロイ)。中央が岩崎義久さん
メジロドーベル(右)とその当歳(父ゼンノロブロイ)。中央が岩崎義久さん

 昨年5月20日、名門メジロ牧場が44年の歴史に幕を下ろした。それから1年3カ月。生産事業に特化した株式会社レイクヴィラファーム(北海道洞爺湖町)に名前を変え、マーケットブリーダーとしてメジロの血を残し発展させることに専念している。解散後は平たんな道のりではなかったが、今年のセレクトセールでは1歳部門で4位となる成績を残した。メジロ牧場名義の生産馬が今後増えることはないが、その精神は同ファームが引き継いでいく。

 メジロ牧場は、解散から一夜明けた昨年5月21日、生産事業を中心に行うレイクヴィラファームとして再スタートを切った。ただ、根底にある思いは今も変わらない。父岩崎伸道社長とともに立ち上げに尽力した岩崎義久氏(33)は「メジロの繁殖を引き継いで、今度はマーケットブリーダーとしてメジロの血をつなげていく。そういった思いでやっています」と、言葉にいっそう力を込めた。牧場の看板にメジロの名はもうない。それでも、洞爺の本場にはメジロドーベルなど約30頭の“メジロ”の名を持つ繁殖牝馬が残った。このかけがえのない財産に本場20頭、伊達分場の空胎50頭の預託牝馬70頭を加えた約100頭が、新生メジロを支える。

 激動の日々だった。解散が決まると、売却が決まった馬は次々に牧場から出て行った。全長1000メートルのダートコースとウッドコースは放牧地にするため取り壊された。従業員自ら砂を運んで柵を打ち込み、冬季は雪を塩で溶かして調教した歴史あるコース。それを従業員自らの手で解体する姿は見るに堪えなかった。義久氏は「廃虚になることに比べればまだましだと頭では分かっていましたが、あれはつらかった」と振り返る。悩んだ末の事業縮小だった。

 それでも、再建の過程では多くの知識を得た。伸道氏と吉田勝己氏が旧知の仲だったことから、ノーザンファームから多くの繁殖牝馬を預かり、頻繁に技術交流も行うようになった。日本屈指の大牧場のノウハウは衝撃だった。雪の積もる冬季でも当たり前のように夜間放牧を行い、放牧地では馬のすぐ横でトラクターが作業をしていた。義久氏は「そんなこと、今までは考えもしなかった。ずっと同じ方法を続けてきたこれまでが、いかに固定概念にとらわれていたか。まずはやってみて、駄目だったら次の方法を考えようという気持ちが大事だった」と悔やんだ。メジロがなくなって初めて気付いた。「メジロの血を走らなくしたのは、自分たちの育成のせいだったのかもしれない」とさえ考えた。だからこそ、育成部門を切り離し、レイクヴィラ名義となった現1歳世代からは、生産と初期育成の方法も大幅に見直した。

 効果はすぐに現れた。レイクヴィラ名義として初めて参加した今年7月のセレクトセールで、1歳部門で社台グループ3社に次ぐ4位の販売成績を残した。「すごい雪でも夜間放牧をさせて、冬を越したら馬がたくましくなったんです」。方向性に間違いがなかったことを実感した。8月のサマーセールでも出展した5頭が即日完売。予想以上の再スタートだった。

 庭先取引は行わず、純粋なマーケットブリーダーにこだわる。「メジロの公明正大さを受け継いで、オープンな形でやりたいんです」。経営形態と牧場名が変わっても、その精神だけは失いたくなかった。そしてもうひとつ、引き継いだものがある。メジロの宝、ドーベルは今年の3月25日、メジロダイボサツ以来4年ぶりに子供を産んだ。ゼンノロブロイの牝馬。「ドーベルの血が走らないのは、馬のせいじゃないということを証明したい。そして、メジロの血を一からまたブランドにしていきたい」。今年の2歳でメジロ牧場名義の生産馬は最後になるが、サトノノブレスが新馬戦快勝でクラシックに向け好発進を切った。夢の続きは次の世代へ。メジロが残した血と精神は、今も洞爺湖のほとりで生き続ける。【松本岳志】

 ◆レイクヴィラファーム 11年5月21日、旧メジロ牧場の敷地と繁殖牝馬を引き継ぐ形で開場。洞爺湖町の本場と伊達市の分場がある。社長はメジロ牧場元専務の岩崎伸道氏。従業員は伊達3人、洞爺13人の計16人。場内にはメジロマックイーン、メジロデュレン、メジロパーマーなどの墓のほか、25歳を迎えたメジロライアンが功労馬として余生を過ごしている。

 [2012年8月28日7時57分 紙面から]




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