日本馬の海外挑戦は古くから歴史を刻んできた。今回の「ケイバラプソディー ~楽しい競馬~」では大阪・岡本光男記者が、栗東・石橋厩舎の芹沢純一調教助手(55)に聞いた00年ドバイシーマクラシックの思い出を紹介する。当時はバリバリの現役騎手だった芹沢助手にとって忘れられない一戦だった。

    ◇    ◇    ◇

先日、天皇賞・春に出走するスマートファントムのことを芹沢純一助手(石橋厩舎)に聞いていて、昔、彼から聞いたドバイ遠征の話を思い出した。

芹沢助手が現役バリバリのジョッキーだった00年、ゴーイングスズカでドバイシーマクラシックへ挑んだ。当時の舞台はナドアルシバ競馬場で、芝コースは三角形に近いコース形態。前半は2番手を進んでいたが、絶好の手応えに、最後の直線に向く前に先頭へ立ってしまった。「あっ、やってしまったと思った」と予定外の展開に焦ったという。

これに驚いたのが、ハイライズという有力馬に騎乗していた世界のレジェンドジョッキー、L・デットーリ騎手だった。「すごく手応えが良かったからだろう。デットーリがぐいぐいと追いかけてきた」(芹沢助手)。ゴールはまだ遠く、明らかに早仕掛けだった。

結果、ゴーイングスズカは5着、ハイライズは3着と、2頭ともゴール前で失速。勝ったのは、のちに日本でも種牡馬になったファンタスティックライトだった。

「デットーリはめちゃくちゃ怒ってた。馬を横につけてきて、何度も『○×※▽』と叫んでいたよ」。検量室に戻っても怒りは収まらず、芹沢騎手に向かい、身ぶり手ぶりを使ってまくし立てた。「なにを言っているか分からなかったから、僕はとりあえず『サンキュー』と言った」。

意外な返しに虚を突かれた世界の名手は一瞬、だまった後、両手を広げ「オー、カミカゼボーイ」と言って立ち去ったという。

あれから24年。芹沢助手は「俺が早仕掛けしなければ、ハイライズは勝っていただろうな」と懐かしそうに目を細めていた。

(ニッカンスポーツ・コム/競馬コラム「ケイバ・ラプソディー~楽しい競馬~」)

ランフランコ・デットーリ騎手(2018年10月7日撮影)
ランフランコ・デットーリ騎手(2018年10月7日撮影)