U-24日本代表の5月末から6月の活動が12日、終了した。

オーバーエージ(OA)枠として参加したDF吉田麻也(サンプドリア)は、5日のU-24ガーナ戦と12日のジャマイカ戦に出場した。A代表でも主将を務める日本サッカー界の柱がCB(センターバック)として、ディフェンスラインの中央に立ち、守備は飛躍的に安定した。若いチームについて「欧州組が多いし、A代表に入っている選手もいる。雰囲気は非常にいい。緊張感も高い。頼もしい」と、可能性を口にした。

今回の活動中には、想定外の出来事も起きた。同時期に活動したA代表の2日のジャマイカ戦が中止となり、U-24代表は急きょ札幌に向かって強化試合をこなした。さらに翌日には悪天候で福岡に向かうチャーター便の到着が大幅に遅れ、空港で足止めにあった。

そんな中、加わったばかりの吉田は「できることをやったほうがいいと知恵を出した」と、待ち合いロビーにあるテレビモニターを使い、映像を映してのミーティングを提案。置いてあった椅子を移動して会場を作り、使用後はきれいに元に戻した。「難しい状況でも、何ができるか考えて、1歩でも2歩でも前進することが大事。育成年代には非常にいい経験だったのでは」。移動のバスに揺られながら取材対応し、笑いながら話した。

MF堂安らが「頼もしすぎる」と絶大な信頼を置くOA3人衆の1人。一方で以前は、五輪に対して大きな意欲を示してはこなかった。「プレミアリーグにいたころで、自分のキャリアを軌道に乗せるので精いっぱいだった」と明かす。世界最高峰リーグでしのぎを削り「正直、余裕がなかった」という。

五輪が行われる時期は、欧州各国リーグのクラブにとってはプレシーズンの準備期間に当たる。そこを不在にすることは、ポジション争いにおいてアピール時間を大きく失うことを意味する。五輪出場はOA枠の選手にとって、自身の生き残りがかかる決断を迫られる。

しかし、吉田と東京五輪には巡り合わせがあった。コロナ禍で、大会の開催が1年延期に。そうした中で20年1月、サウサンプトンからセリエAのサンプドリアへ加入した。「強度には差はあるし、自分の中で余裕が生まれた」。プレー環境の変化とともに、コロナで長く代表活動が止まったことで感じたこともあった。「代表に行けない期間ができたことで、代表への思いを再確認できた」。積み上げた国際Aマッチ出場試合数は107。原点に返って日の丸を背負う誇りを感じた。

気持ちを固め、自身3度目の五輪に向かうことを決めた。

「自分の残りのキャリアで、できることはなにか。どれだけ日本サッカーを押し上げられるかだと思った。少しでもそれに貢献できることがあるならばトライしたい。この大会を通して僕もなにかを手助けできたら、さらに彼ら(五輪世代)がステップアップするきっかけになるかもしれない」

現在32歳。異例ともいえる3度目の五輪となる。次世代の日本代表を中心として担うことが期待される若武者たちに、持てるものをすべて注入する。そして、自身初のメダルを手にしたいところだ。【岡崎悠利】