【ドーハ(カタール)=磯綾乃】22年ワールドカップ(W杯)カタール大会の抽選会から一夜明けた2日、サッカー日本代表の森保一監督(53)が欧州視察のためドイツに向けて出発した。自ら口にした「ドーハの歓喜」への第1歩。一方、「ドーハの悲劇」の舞台となったアル・アリ競技場は、静かに時を刻んでいる。

組み合わせ決定から一夜明けた2日深夜。森保監督はすでに、ドイツ・フランクフルトへ向かう機内にいた。欧州組のチェックはもちろん、対戦チームの選手もチェックする予定。W杯への道のりはもう始まっている。

「我々が目標とすることを達成して、ドーハの歓喜に変えたい」

抽選会が終わった直後、森保監督は力強く言葉にしていた。93年、ドーハの悲劇。日本サッカー界に深く刻まれている記憶だ。

激戦が行われたのは、ドーハ市内に位置するアル・アリ競技場。初のW杯まであと1歩に迫っていた日本は勝てば出場が決まるイラク戦に臨んだ。2-1で迎えた後半ロスタイム、ショートコーナーから悪夢の同点ゴールを決められた。

ドーハの中心部を抜けた市街地の南部に、悲劇の舞台はたたずむ。幾何学模様のように見える緑と白のスタンドは、少し砂ぼこりをかぶっていた。29年前、ここから超満員の観客が歴史を目撃した。

「アラブカップや代表戦のビッグゲームをここでやっていたよ。大きなスタジアムが出来るまではね」。入り口の警備員は、そう説明した。カタールW杯が開催されるのは、同じドーハ近郊にある8つの近代的で巨大なスタジアム。今は地元のチームが主に使用しているようだ。

誰もいないピッチでは、小鳥が芝生をついばんでいた。カズ、ラモス瑠偉、柱谷、そして森保。W杯をかけて懸命にプレーした汗と悔し涙が染み込んでいる。

あれから29年。悲しい記憶を乗り越えた森保監督は、黒星先行の危機を乗り越えて7大会連続出場という歴史をつないだ。03年に現役を引退すると、J1広島やアンダー世代のコーチとして指導者の経験を積んだ。広島の監督として3度のリーグ制覇を成し遂げ、そしてコーチを経て日本代表を率いる立場になった。

W杯に行けなかった過去があり今がある。「悲劇」を知る森保監督が、指揮官としてドーハに帰ってきたのも必然なのかもしれない。1次リーグの相手はスペイン、ドイツと強豪ぞろいだが、正々堂々と勝ちに行く。日本にも、先人たちが積み上げてきた経験と歴史がある。そこに「歓喜」の瞬間を積み重ねる。