日本(FIFAランキング23位)が、東京・国立競技場で王国ブラジル(同1位)と国際親善試合「キリンチャレンジ杯」で対戦する。

試合は6日午後7時20分キックオフ。11月開幕のワールドカップ(W杯)カタール大会に向け、貴重な強化試合となる。

超豪華メンバーでやって来たブラジルは、A代表としては、優勝した2002年W杯日韓大会以来の来日。招集されているのは、ネイマールを筆頭に世界の超一流ばかりで、先発11人の市場価値は合計で約680億円と日本の約7倍。

国内での対戦は01年コンフェデレーションズ杯以来21年ぶりとなる。

注目の一番に向け、両国と縁の深い元日本代表FW玉田圭司氏(42)に、思いを聞いた。

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王国ブラジルを“本気”にさせた一撃を見舞った玉田氏は、「今までやった中でダントツですごいなと思いました。すぐに分かりました」と話す。06年W杯ドイツ大会の1次リーグ。玉田氏が、強烈なゴールを決めた。

神様、ジーコ監督から「ブラジルでも絶対に隙はある。その隙を突いてほしい」と先発に抜てきされた。「何か爪痕を残してやろうと思っていた」。前半34分。三都主のパスに、左足を振り抜いた。強烈なゴールに日本中が沸き立った。「少し光が見えたと思うんですけど、そう簡単ではなかったですね」。

これが相手に火をつけた。ブラジルが何か、スイッチを入れたような感触を、肌で感じた。王国のプライド。その後日本は圧倒され、1-4で敗れた。

その試合の1つ1つのプレーが脅威だった。しかし大きな影響を受けたのは、ロナウジーニョのあの笑顔だった。ずっと笑っていた。「90分間、笑顔だったんです。本当に心の底からサッカーを楽しんでる。サッカーはこうなんだなって、あらためて思わされました」。

柏でプロになり、1年目のオフ、約2カ月間のブラジル留学も経験している。当初「ジャポネーゼ(日本人)」だった呼び名は、試合で結果を出すと、「タマダ」「ケイジ」と名前に変わった。「シビアだなって思ったし、簡単には認めてくれない部分があった。そういうずる賢さというものも、やっぱりプロには必要なのかなと思いました」。

Jリーグでも多くのブラジル人とともにプレーした。「僕の中ではすごく、思い入れのある国」だという。ブラジル戦で学んだ「サッカーを楽しむこと」を、引退するまでずっと、心がけていた。「ものすごく影響を与えられました」。

日本代表の後輩たちにも、同じ経験をしてほしいと願う。「肌で感じてほしいですね、1つ1つのプレーを。負けたほうがいいかもしれないですよね。負けて学ぶものってたくさんあると思う。それを次につなげていってくれれば」。

過去にブラジル戦で点を取った日本人は5人だけ。1度しか対戦経験のないW杯の大舞台に限ると、王国から点を取ったのは玉田氏1人だけ。実績ある先人の言葉は重い。たとえ敗れても、ブラジルが相手なら、大きな学びがある-。玉田氏からのメッセージだ。

【磯綾乃】

◆玉田圭司(たまだ・けいじ)1980年(昭55)4月11日、千葉県生まれ。習志野高から99年に柏入り。名古屋、C大阪、長崎でもプレー。W杯は06年ドイツ、10年南アフリカ大会を経験。国際Aマッチ通算72試合16得点。昨季限りで引退し、現在は長崎のアンバサダー兼アカデミーロールモデルコーチ。