ワールドカップ(W杯)日本代表に初選出されたFW浅野拓磨(27=ボーフム)は自身がオーナーとなり、地元三重・四日市市に高級食パン専門店「朝のらしさ」を経営する。店長は7人きょうだいの2番目、兄晃平さん(29)。9人家族の浅野家の食卓をイメージした食パンには、本人の熱い思いが詰まっている。

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浅野が生まれ育った三重・菰野(こもの)町の隣、人口約30万人の四日市市に、浅野がオーナーを務める高級食パン専門店「朝のらしさ」がある。20年7月、地元への感謝の思いを込めて出店した。

店長に就任した兄晃平さんは毎朝4時に起床し、1日100本以上の食パンを焼く。地元百貨店に卸したり、ネット販売も行い、全国から好評を得ている。

「僕たちが子どもの頃、母(都姉子=としこ=さん)は家族分の食事を作らないといけなかった。人一倍大変だったと思う。みんなを学校に送り出してから、母は冷えたパンを食べていたと聞きました」

そんな母親に焼きたての食パンを届けたい-。浅野の思いを受けた晃平さんが、菰野町の特産でこだわりの鈴鹿山麓の牛乳やバターを使用し、完成させた。

「耳までやわらかく、しっとり、ふわふわしているとよく言われます。拓磨もパンは好きで、おいしいと言ってくれました」。記者もプレーン味を食べると、特に焦げ目の香ばしさが秀逸。蜂蜜のほのかな甘さが胃に優しかった。

菰野高を卒業後、電気関係の会社で働いていた晃平さんが「兄ちゃん、パンの店どう?」と浅野から相談され、27歳で脱サラ。「パンの店を持ちたいという僕の夢を、拓磨は知っていたようです。朝が早いので、おかげで日本時間深夜のドイツの試合は、見ることができません」と笑う。

浅野家は11年12月、初めての女の子となる小春さん(10)が生まれ、両親と男子6人、女子1人の9人家族になった。トラック運転手の父智之さんを中心に、きょうだいのまとめ役は三男の浅野だったという。

「拓磨は父親と似て、曲がったことが嫌い。しっかりしていて、弟の面倒をよく見ていた。小春が生まれた時、まだ高校生でしたが、めちゃくちゃかわいがっていた。長男的な役割を果たしてくれました」

そんな浅野は前回18年のW杯ロシア大会、オーストラリアとのアジア最終予選で先制ゴールを決めて本大会出場に貢献した。だが最終メンバーから落選。

4年後の今回も主力で活躍しながら、9月10日のシャルケ戦で右膝を負傷。それでも、懸命のリハビリで間に合わせた。晃平さんは1日の代表発表を不安いっぱいで見ていたという。

「4年前のように直前で落選するのかな、とハラハラでした。あの時は本人もかなり悔しい思いをした。だから弟の名前が呼ばれた瞬間、ホッとしました」

浅野が広島に在籍していた15年5月2日、晃平さんが本拠地Eスタの仙台戦の応援に駆けつけ、浅野がゴールを決めた。あの興奮を今度はW杯で再現してほしいという。

弟に「W杯でも大事なところで決めてくれるはず」という晃平さんは、色紙に「カタールでジャガーポーズ見せてくれ!!」とメッセージを記した。家族への思いを食パンに込めた浅野は、爆発的なスピードを武器に、本職のピッチで“浅野らしさ”を証明するつもりだ。【横田和幸】

◆浅野のけが W杯アジア最終予選6試合出場の主力ながら、9月10日シャルケ戦の前半4分に負傷。右膝内側側副靱帯(じんたい)断裂の大けがとなり、松葉づえ姿にW杯出場が危ぶまれたが、手術ではなく保存治療を選択。日本協会もドイツでのリハビリを全面支援。急ピッチで回復に努め、初のW杯日本代表入りが決まった。

◆浅野拓磨(あさの・たくま)1994年(平6)11月10日、三重県生まれ。四日市中央工から13年広島入り。得点後に両手の爪を立てるジャガーポーズが有名に。J1通算58試合12得点。16年7月にアーセナルに移籍し、シュツットガルト、ハノーバー、パルチザンを経て21年6月にボーフムへ。15年日本代表初選出で国際Aマッチ通算36試合7得点、16年リオデジャネイロオリンピック(五輪)代表。173センチ、71キロ。浅野家四男で弟雄也(25)も広島MF。