J3のSC相模原の元日本代表GK川口能活(43)が14日、相模原市役所で引退会見を開いた。

川口は「お忙しい中、記者会見の場にお集まりいただき、ありがとうございます。今シーズンで引退することを決めました。今は、感謝の気持ちしかありません。会見の前に(会見場の)写真を見せて下さいました。僕のために、これだけ皆さんが集まってくれたことに…感謝しかありません」と、時に涙声になりながら、あいさつした。

川口は関係者に向け、感謝の言葉を続けた。

川口 多くの人に支えられ、サッカー選手を続けることができました。自分がまず…サッカー選手として必要な丈夫な体を授けてくれた両親、サッカーに出会わせてくれた兄、指導してくださった先生方、プロ選手として認めてくれた横浜マリノス、ポーツマス、ノアシェラン、ジュビロ磐田、FC岐阜、SC相模原に携わる、関わる皆さま。アドバイス、サポートしてくださった方、ともにプレーした先輩、仲間たちには、後ろから聞きたくないような、うるさいコーチングを受け入れてくれた…そんな選手の皆様。家族、子どもたち…そして妻、本当に感謝の気持ちしかありません。本当にありがとうございます。

川口は9歳でサッカーを始め、静岡・東海第一中から清水商業高(現清水桜が丘)3年時に全国高校サッカー選手権に優勝し、94年に横浜マリノス(現横浜F・マリノス)に入団。翌95年4月26日の柏レイソル戦でJリーグデビューを果たし、松永成立から守護神の座を奪った。同年に横浜の年間優勝に貢献すると、01年にイングランド・チャンピオンシップリーグ(2部)のポーツマスに移籍し、日本人GKとして初の海外移籍を実現。03-04年にチームは1部に昇格も、出場機会が少なく、03年9月にデンマーク1部のノアシェランに移籍した。

05年にはJ1ジュビロ磐田に加入しJリーグに約4年ぶりに復帰。磐田では09年9月19日の京都サンガ戦で右脛骨(けいこつ)骨幹部骨折で全治6カ月、12年3月の練習中に右アキレス腱(けん)を断裂と大きなケガを2度も負ったが、10年のナビスコカップ(現YBCルヴァンカップ)、11年のスルガ銀行チャンピオンシップ優勝に貢献した。14年にはJ2のFC岐阜、16年にはJ3の相模原と戦いの場を移し、17年11月19日のFC東京U-23戦でJリーグ通算500試合出場を達成した。

 

<川口能活(かわぐち・よしかつ)>

◆生まれ 1975年(昭50)8月15日、静岡県富士市。

◆サッカー歴 富士市立天間小3年の9歳で始める。同4年からGK。東海大一中2年で全日本ジュニアユース大会優勝。清水商(現清水桜が丘)では1年から正GKとなり、主将の3年時に高校選手権優勝。94年に横浜M(現横浜)入り。

◆鮮烈デビュー プロ2年目の95年にJリーグデビュー。19歳だった4月26日の柏戦で初出場初完封。横浜Mの正GKとして年間優勝に貢献した。

◆個人タイトル Jリーグでは95年新人王、06年ベストイレブン、08年フェアプレー賞。国際大会では01年コンフェデ杯と04年アジア杯でベストイレブン。

◆最年長出場 9月2日鳥取戦が直近の出場。43歳18日での出場はJ3最年長記録。J1、J2を含め、43歳以上でリーグ戦に出場した唯一のGK。

◆GK最多 日本代表で国際Aマッチ通算116試合出場は歴代3位タイで、GKでは最多。98年フランス大会からW杯に4大会連続メンバー入り。4度出場はGK楢崎と並び最多。

◆サイズ 180センチ、78キロ。