元日本代表でJ2京都サンガDF田中マルクス闘莉王(38)が1日、都内のホテルで現役引退を発表し、会見した。グレーのスーツで登場し「今日をもちまして、あっという間の19年間のプロ生活を引退します」と明かし「たくさんの人たちに、こんなしょうもない人間を支えてくれたことに、感謝の気持ちで胸がいっぱいです」とあいさつした。

闘莉王はブラジル出身。サッカー留学で千葉・渋谷幕張高に入学し、01年にサンフレッチェ広島からプロ生活をスタートさせた。03年、J2水戸ホーリーホック在籍中に日本国籍を取得。04年から浦和レッズに加入し、06年の浦和レッズのリーグ優勝に貢献した。その後、名古屋グランパス、京都サンガと渡り歩いた。Jリーグ通算529試合、104得点。日本代表としても国際Aマッチで43試合8得点。W杯南アフリカ大会では守備の要として16強進出の原動力となった。

引退を決めたのは昨年の終わりだった。「少しでも(サッカーへの)炎が消えかかりそうになったら、どんなとき時であれ、年も関係なく引退しようと。去年の終わりごろに、少しでもそれを感じて。引退しないといけないなと」。今年1年は相手チームとサポーターへの感謝の気持ちを伝えたかったという。「今年は最後のシーズンにしようと。消えかかってた炎を、最後のエネルギーに変えて1年やりました」と明かした。今後の活動は未定だが「ブラジルに帰ってビールをたくさん飲んで10キロぐらい太ってみんなに笑われる姿を見せたい」と冗談まじりに話した。

【一問一答】

-03年に水戸でプレーしていたころに日本国籍を取得。闘莉王の名前に込めた思い。

カタカナか漢字かになると。決めたのは自分の心がブラジルでなく、日本人の心になっているんだなと。そう感じて国籍を獲得しました。日の丸に対する思い、今まで支えてくれた人たちに対する思い。日本に恩返しをする一心で、国籍を変え、インパクトを残さないといけないなと。相撲の力士らしいという声があった中で、今振り返れば、ぴったりの漢字だった。

-印象に残った試合は

W杯(南アフリカ大会)のパラグアイ戦で、コマちゃん(駒野)がPKを外した瞬間がすごく印象に残っていた。次のキッカーが自分だった。自分の所まで回ってきたらどうだったんだろうなと。それも、神様の自分に対する嫌がらせかなと。外すんだったら、自分でも良かったんじゃないかと。こんなボールを蹴りたいな思ったのが、こんなキックをしたいと思ったのが、今までにはなかったんだなと。あの瞬間が「・・・」になる。あれだけPK外していたのに岡田監督が「お前蹴るぞ」と。疲れの中、ぼーっとして「はい」と言ってしまった。自分がどうかしてたのかなと。結末を見られずに終わった瞬間が印象的ですね。

-19年間のプロ生活で誇りに思っていることは

サッカーのすばらしさはグラウンドの中もそうですし、試合に関しては一瞬も1秒も手を抜くことなく、全力で気合を入れてやってきたことを誇りに思います。時には頭が割れていても、肉離れしても、鼻が折れていても、ピッチに戻ろうとした。その気持ちは誇りに思います。たくさんの素晴らしい仲間に出会えたことも誇りに思います。

◆田中マルクス闘莉王(たなか・まるくす・とぅーりお) 1981年4月24日、ブラジル生まれ。渋谷幕張高から01年、広島に加入。03年、J2水戸在籍中に日本国籍取得。04年、浦和に加入。06年、浦和のリーグ初制覇に貢献。10年に名古屋に移籍し、名古屋をリーグ優勝に導く。日本代表として10年W杯南アフリカ大会でベスト16に進出。J通算529試合104得点。国際Aマッチ43試合8得点。185センチ、85キロ。