日本代表の西野朗監督(63)は、覚悟を持って人を信じ抜ける男だった。日本人3人目の1大会2得点と活躍した乾。当初は負傷辞退の可能性があった。スペインリーグの終盤5月、エイバルの練習中に右大腿(だいたい)四頭筋を負傷。本人が「いきなり手術と言われた」とベルギー戦後に打ち明けたように、エイバルの医師はメスを入れようとした。実際、MRI検査では患部の異常な大きさの血塊が確認されたという。

 だが、乾から相談された西野監督と日本代表スタッフは温存療法を懸命に模索した。「膝が曲がらない」(乾)状態から血塊が小さくなるのを待ち、貴重な国内合宿も完全別調整。それでも、プレー可能になるのは6月8日スイス戦の直前という厳しい状況だったという。その中で西野監督は周囲と逆の発想だった。「本大会には間に合うじゃないか」。27人から23人に絞ったガーナ戦(5月30日)で、今大会の攻撃陣8人で唯一、乾だけを欠場させながら最後に選出。復帰戦となった6月12日パラグアイ戦で2得点した後の結果は知っての通りだ。「感謝の思いをぶつけたかった」という乾の力を、指揮官の信じ抜く度胸が引き出した。

 岡崎も同じだ。19日の初戦コロンビア戦直前に両ふくらはぎ痛を発症。3日前の16日に極秘でMRI検査を受け、全治10日前後と診断されていた。損傷がはっきり写った診断画像の上では、とても開幕には間に合わない。「第3戦なら」。そう医療班から報告を受けた西野監督は、岡崎本人の感触を信じることにした。

 ある選手が証言する。「オカさん(岡崎)は『診断画像を信じないでほしい。動きを見て最後は決めてほしい』と直談判したそうです」。2日前の17日と前日18日の朝に岡崎だけ極秘練習し、負傷者とは思えない動きを披露。並の指導者なら診断時点で治療に専念させた可能性もあったが、西野監督は信じた。出場したいがための、やせ我慢ではなく、本当に問題ないと。

 実際、岡崎は初戦のピッチに立った。これにより、惨敗した前回14年ブラジル大会コロンビア戦(1-4)に出場していた8人が全員、4年後もピッチに立ってリベンジに成功。一体感がピークに達し、8強目前まで迫った。選手を信じ、結果につながる判断の連続に選手も監督を信頼。あの本田が「僕はサブでも構いません」と西野監督に言いに行ったほど、一丸になれた。【木下淳】(つづく)