あの「超新星」は一体、何者だ!? ワールドカップ(W杯)ロシア大会は6日から準々決勝に突入する。決勝トーナメント1回戦で強烈な衝撃を残したのが、フランス代表FWエムバペ(19=パリサンジェルマン)だった。超人的なスピードと冷静な決定力を見せつけて、アルゼンチン代表FWメッシとの直接対決で世代交代を印象づけた。世界に衝撃を与えた19歳の伝説に迫る。(松本愛香通信員)

 ◆体つき 178センチ、73キロで体格指数(BMI)は23と普通体重。昨夏パリサンジェルマン(PSG)へ移籍したことで体を鍛える決意をした。服のサイズは一回り大きくなり、身長も1センチアップ。元PSGスカウトのウェステルロップ氏は地元紙に「彼の筋肉の発達はまだ終わっていない。21歳ごろに大人の体になるはずだ。上半身が自然に強化され、肩幅は広くなり、筋組織はさらに描かれる。自動的にスピード、爆発力、技術面が良くなる」。

 ◆サッカー愛 かつては暴力と暴動によって荒廃していたパリ北東部ボンディで、すくすくと成長。3、4歳のころには胸に手を当ててフランス国歌「ラマルセイエーズ」を熱唱した。指導したリカルディ氏は「『僕はフランス代表でプレーする。W杯に出るんだ』と。私たちは笑っていたんだ。まだ6歳の子どもがそう言うもんだからね」。父ウィルフレッド氏は「キリアンはサッカーに熱中しているというよりも、それ以上だった。狂っていると思う(笑い)。自分はサッカーの指導者だけど、ほとんどたしなめられていたからね。1日24時間、サッカーの全てを見ていた」。

 ◆最愛の弟 7歳の弟エタンくんは、エムバペにとって「両親が与えてくれた最も美しいプレゼント」。モナコとプロ契約した際には弟をマスコット(お守り)にして、試合の際は手をつないで入場していた。ゴールを決めた際に腕を交差して親指を立てるポーズは、サッカーのテレビゲームで負けた際にエタンくんにされたポーズがヒントになって、まねた。エタンくんもサッカーをしている。

 ◆クリスティアノ・ロナウド 幼少時、あこがれの存在はポルトガル代表FWロナウドだった。部屋は壁じゅうポスターだらけ。父ウィルフレッド氏は「ロナウドは何年も前から本当に彼のアイドルだった」。ジダン監督からレアル・マドリードの練習に招待された13歳のときに一緒に写真撮影。U-19欧州選手権準決勝のポルトガル戦では得点を決めると、ロナウドと同じゴールパフォーマンスを披露した。だが、欧州CLで戦うことになり一変。「自分は競争相手であって、選手が望むのは勝つことと勝つこと、そして勝つことだ。小さいときは彼が大好きだったけど、今はもう終わった」。

 ◆育成時代 12歳から2年間、元代表のアンリやアネルカらを輩出したクレールフォンテーヌの育成機関「国立サッカー養成所」へ入所。「周りの全ての偉大な選手たちをキラキラ光る目で見ていた」。その数年前は養成所の壁の外にいた。ただ、あまり近づきもしなかったという。「みんな選手たちがスパイクを投げるのを待っているんだけど、僕はその後ろにいた。リベリが投げたけど、僕に向かってじゃなかったね」。同じ養成所の出身から「新アンリ」と称される。

 ◆できる子 パリ郊外ボンディのカトリックの私立中学2年(日本の中1)時、あまりに知能指数が高いとして教員がお手上げ。学校をやめさせられそうになった。授業が簡単すぎて退屈し、休み時間にサッカーをすることしか考えていなかったからだという。その授業態度を記すメモが、多ければ8時間で8枚も残されていた。ただ、エムバペ少年の性格や優しさに感動した教師によって、退学は避けられることに。最終的には16年に技術バカロレア(高卒証明)を取得した。

 ◆母の教え 1人で好き放題するプレーを、U-17代表監督が「舞台芸術家」と見なし、あまり招集されなかった。「思い上がり」という声も上がった。ただ、小学校時代のオベール元校長は1つのエピソードを語った。モナコ時代の16年に、母ファイザさんは小さくてきれいなせっけんを持たせたという。モナコ社員に靴を磨かせたことを知ったからで「この男性があなたの靴を磨いたことが、社会的にどういうことか分かる? もう2度としないで。靴を誰かに磨かせることを禁じます。あなたはボンディの北、人間的に豊かな庶民的な地区から来たの。このサイクルに入ってはいけないのよ」と諭した。以来、自分で磨いている。

 ◆ニックネーム 複数ある。パリサンジェルマンの同僚からはアニメ「ニンジャ・タートルズ」の発明家ドナテロに似ていることから「ドナテロ」。フランス紙レキップは、今大会のアルゼンチン戦で最高時速37キロを記録したとして「37」(トラントセット)。他にキリアンの短縮「キキ」や、代表の同僚MFポグバはエムバペが学問を鼻にかけているとしてラテン語化して「キリウス・マプス」。

 ◆キリアン・エムバペ 1998年12月20日、パリ近郊ボンディ生まれ。両親はカメルーン出身父とアルジェリア系の母。モナコでプロデビュー。17年3月のW杯予選で18歳3カ月でA代表デビュー。昨夏にパリサンジェルマンへ移籍。1年間の期限付き。