3月に日本代表に初招集されたベルギー1部・シントトロイデンのFW林大地(24)が、滑り込みで22年W杯カタール大会(11月21日開幕)のメンバー入りを果たす。ガンバ大阪ジュニアユースから高校サッカー、大学を経て世界へと羽ばたいた。日刊スポーツのインタビューで成り上がりの過去、W杯への未来を語った。

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久しぶりの大阪だった。

ベルギーリーグのオフを利用して一時帰国。外は雨だった。

窓を眺めながらふと、つぶやく。

「やっぱりあらためて日本は素晴らしい国ですね」

代表への思いを聞くと、目を輝かせながら答えた。

「次は自分が中心でと、そう思っています」

常に笑顔で、物腰は柔らかい。その受け答えは、人柄の良さを感じさせた。

歩んできた過去は目標を達成するための確かな信念があり、これから進む未来にもまた、明確な道筋を描く。

そして、究極の目標をこう口にした。

「W杯で優勝したいんです。したくないですか? 日本の持つ(過去最高成績の)ベスト16を超えて、その流れでいければ(可能性は)あると思う。せっかく出るならそこで自分が出て、ピッチに立てるなら、成し遂げたいと思うんです」

大阪の箕面市に生まれた。中学からG大阪のジュニアユースの門をたたく。

同学年には札幌DF田中駿汰、神戸DF初瀬亮、元G大阪のFW高木彰人(現J2群馬)、MF市丸瑞希(現VONDS市原)らがいる。順調にユースからトップ昇格を果たした初瀬、高木、市丸らとは対照的に、林と田中はユースに上がれず履正社から大体大と同じ道に進む。いち早く田中は大学時代に日本代表入り。最も遅咲きなのが林だった。

「僕と初瀬、駿汰(田中)は2年生まで万年Bチームでした。3年でAチームに入ってからもずっとベンチ。当時は右のサイドハーフかサイドバック、ボランチをしていた。基本はサブ(控え)で、たまに途中から試合に出るくらい。でも必死でサッカーをしていました。メンタルを鍛えてくれるコーチがいたので、『何で試合に出れないんやろう』とは思わなかった」

当時、ジュニアユースを教えていた西村崇コーチとの出会いが原点になった。

「『試合に出ていなくても腐るな』、と言われていました。以来、『腐らない心』がキャッチフレーズになった。紅白戦でコーチが入ると吹き飛ばされるんですけど、倒すにはどうしたらいいかを考えた。そのコーチに鍛えてもらいました。

遠征で結果が出なかった時、帰りのバスで映画の『海猿』が流れたんです。『いいチームには連帯感が必要。お前たちはバディ(仲間、相棒)だ』と言われたのは強烈に覚えています。『いい試合ができなかったのは俺の責任でもある』と、一緒になって走ったこともあった」

かつて日本のエースだった本田圭佑もG大阪ジュニアユースからユース昇格を逃し、高校サッカーに進んだ。ただ星稜から名古屋入りした本田とは違って、高校卒業時、林はプロから声はかからなかった。

「高3ではプロになれる手応えはなかったです。(大体大では)2年から試合に出られるようになり、就職活動の時期になって『サラリーマンではなくサッカーがしたい』と考えた。でもオファーがない限り、辞めないといけない。ヤバイとなって、死ぬ気で向き合うようになりました。

スカウトの目に留まるには、関西学生リーグで点を決めまくるしかない。1試合1点を取る気持ちでやって、22試合で24~25点を決めた。鳥栖から練習参加の声をかけていただき、オファーをもらうことができました」

プロ1年目でJ1リーグ戦31試合9得点と大ブレーク。東京オリンピック(五輪)は登録18人から漏れたが、コロナ禍の特例でバックアップメンバーから定位置をつかみ5試合に先発(無得点)した。

まだA代表は出番はない。ただ、五輪のようにW杯でも一気に救世主として期待したくなる。

「シンデレラストーリーとか、いろんな言い方をされることがあるのですが、好きな仲間と好きなサッカーをしてきただけ。1番はやるもやらないも自分。人のことをどうこう言わず、人のことは気にならないくらい、自分のことに精いっぱいやる。一生懸命にやっていれば、応援してくれる人はうれしいと思うし、何よりも自分のためになる」

子供の頃から見ていたW杯で描く、夢がある。

「W杯出場が決まる瞬間(3月のオーストラリア戦)に立ち会わせてもらった。こういうチャンスはなかなかない。(代表で)やれると思いましたし、やらないといけない。自信はあります。(森保監督に)使いたいと思わせるアピールをして(W杯に)出られるなら自分の力で成し遂げたいものがある。優勝したいです」

W杯開幕まで半年。4強入りに貢献した東京五輪を経由し、カタールへ。

再び世界を驚かせる。

【取材・構成=益子浩一】

 

▽林を育てた西村崇氏(42=現大分ジュニアユースコーチ) 「大地(林)以上の才能を持つ選手は山ほどいました。途中で諦める子が多い中で最後は才能の差ではなく努力の差だと本気で信じさせた。素直に信じる力こそが彼の持つ才能で、試合に出ていなくても全力で練習をしていました」

 

○…FW林にはこだわりがある。今季、シントトロイデンで25試合7得点。日本と比べ足場の悪いグラウンドでも得点が生まれた背景には学生時代から履き続けるスパイクがある。「悪い芝でも耐久性があるので、つぶれることがない。他のスパイクでは足に負担がかかってしまう」。アシックス社製の「DS LIGHT ACROS PRO」を愛用。W杯シーズンは新色のピンクを履くことになり「派手なスパイクが好き」と満足そうだった。

 

◆林大地(はやし・だいち)1997年(平9)5月23日、大阪・箕面市生まれ。G大阪ジュニアユースから履正社、大体大を経て20年鳥栖入り。昨夏、東京五輪後ににシントトロイデンへ完全移籍。今年3月のW杯アジア最終予選に追加招集されるも、国際Aマッチ出場なし。ベルギーでは自炊生活を送り、趣味はサウナ。野性的なプレーで愛称は「ビースト」。178センチ、74キロ。