W杯北中米大会が明日12日早朝、メキシコ-南アフリカ戦で開幕する。日本は“遠回り”した苦労人が、初のW杯に挑む。日本代表FW小川航基(28=NECナイメヘン)が、日本からの出国前に日刊スポーツのインタビューに応じた。MF三笘薫、前田大然ら97年度世代のトップを走ってきたが、プロで苦闘。J2を渡り歩き、日本代表に返り咲いた。W杯前最終戦の5月31日のアイスランド戦で途中出場から決勝点を挙げ、決定力をアピール。代表15試合11点のストライカーが、初の大舞台に臨む。
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待ち焦がれたメンバー発表。「小川航基」は、森保監督から16番目に名前を呼ばれた。プロで11年もがき、28歳でつかんだW杯。喜びと同時に悔しさもある。
「僕が描いた通りには来ていない。20歳前後で海外に出て、代表に入ると描いていた。もっと早くそういう立ち位置にいたかった」
三笘、前田ら97年度世代の筆頭。桐光学園で2度、全国高校選手権に出場。3年時は、4点で得点ランク2位。全国に名をはせた。
「高校サッカーで注目してもらって、小川航基を知ってもらえた。でも、世代のトップでやってきた感覚は正直、全くない。苦しい思いもたくさんしてきた」
高校卒業後の16年、J1磐田に加入。プロの厳しさを味わった。出場機会を得られず、17年のU-20W杯では左ひざ前十字靱帯(じんたい)断裂と半月板損傷の重傷。19年にJ2水戸に期限付き移籍し、21年の東京五輪は落選を経験した。
「東京五輪を目指してサッカーをやっていたので、悔しかった。『絶対に見返してやるんだ』と強い気持ちになった。落選はすべてが悪いことじゃない。そのまま終わっていくか、またはい上がるかは選手次第」
23年に海外へ羽ばたいた。日本人選手の少ないオランダリーグに飛び込んだ。あえて苦しい環境に身を置き、24年から代表に定着。
「オランダで結果を出したら絶対に呼んでくれる、と強い気持ちを持ってプレーしていた。素直にめちゃめちゃうれしかった」
22歳だった19年に代表デビューしていた。E-1香港戦でいきなりハットトリックを達成。華々しい幕開けだったが、4年3カ月、代表から遠ざかっていた。
「全然試合に出られなかったり、苦しい思いもした。代表に来るまでに、すごくすごく遠回りをしてしまったイメージがある」
欧州生活3季目は、またも苦渋を味わった。今季は開幕からレギュラーも、終盤は控えに回った。26試合8ゴールでは物足りない。
「満足できるシーズンでは全然ない。ゴール数含めて、描いた活躍は全然できなかった。先発で出たいと常に考えてきたが、試合に出られない中でもやるべきことをやって、コンディションはキープしてきた」
それでも、オランダサッカーは十分に理解した。14日(日本時間15日)の初戦で対戦する国の特徴は頭に入っている。
「技術が高く、しっかりボールをつないで、攻撃も縦に速い。日本と似た部分もある。フィジカル、スピードはオランダの方が高いかもしれない。日本と海外のいい部分が両方ある」
代表では結果を残し続けてきた。上田、塩貝、後藤らとの激しいFW争いに挑む中、W杯前ラストのアイスランド戦でも頭でゴールを決めた。15戦11発。土壇場でアピールに成功した。
「得点能力を評価してもらっている。ライバルがいる中で、他の選手が持っていない自分の色を出さないといけない。毎日の練習が本当に勝負だと思う」
4年前、同世代に火を付けられた。22年カタール大会は、当時J2の横浜FCに所属。三笘、前田に加え、1学年上のMF鎌田大地、1学年下の堂安律らが世界を相手に戦っていた。
「同世代がめちゃめちゃ活躍していて、すごく刺激になった。自分ももっともっとやらなきゃと思った」
遠回りの末、つかみ取った初のW杯。4年間、公言し続けてきたことがある。
「とにかく僕の夢は、W杯でゴールを奪うこと。それを絶対に達成する。すごくワクワクしている」
背番号19は、北中米で大暴れする日が待ち遠しい。【飯岡大暉】
◆小川航基(おがわ・こうき)1997年(平9)8月8日生まれ、横浜市出身。横浜港北FC、大豆戸FCジュニアユースを経て桐光学園に進学。1、3年時に全国高校選手権に出場。16年に磐田入り。水戸、磐田、横浜FCを経て23年夏にオランダ1部NECナイメヘンへ移籍。19年12月のE-1選手権で日本代表に初選出され、香港代表とのデビュー戦でハットトリック。国際Aマッチ15試合11得点。186センチ、78キロ。


