[ 2014年1月22日0時0分

 紙面から ]W杯17勝目を挙げた高梨は笑顔でファンの声援に応える(撮影・井上学)<連載:高梨沙羅

 初代女王のプレリュード第2回>

 小学2年でジャンプを始めた高梨沙羅の傍らには、いつも父寛也さん(46)がいた。元ジャンプ選手の経験から伝えられたのが、助走姿勢の重要性だ。遠くに飛ぶには、時速90キロ近いスピードが出る助走路で完璧な助走姿勢を組み、タイミング良く飛び出さなければならない-。その教えを「高梨家流」のユニーク練習で体に染み込ませてきた。

 北海道上川町の自宅の庭には寛也さんが作ったジャンプ台がある。練習が終わって帰宅してからも毎日、そこから飛んだ。ダイエット用の振動器具の上に乗って助走姿勢を組んだり、スケート場に雪を積んで作った助走路をスキー板を履いて滑り降りたこともある。バランスボールの上で4歳上の兄寛大と相撲を取るなどさまざまな練習で、バランス感覚を養ってきた。

 12年3月に中学を卒業後、スキー部のある高校を選ばず、家から通える旭川にあるグレースマウンテン・インターナショナルに進学したのも、英語の習得のほかに、寛也さんから指導を受け続ける目的があったからだ。「ジャンプのことはずっと見てくれているお父さんが、すべて分かっている」と全幅の信頼を置いている。

 高梨には大事にしている言葉がある。「根っこがしっかりしていない植物は、引っ張ったらすぐに抜けてしまう」。寛也さんから教えられた言葉だ。「基本がしっかりしていないと強さは持続しない」。親子で徹底的に土台を作ってきたからこそ、揺るぎない地位の今がある。(つづく)