東京五輪へ“掘り出し物”が見つかった。2度目のマラソンの井上大仁(ひろと、24=MHPS)が2時間8分22秒で日本人最高となる8位に入った。山梨学院大時代は箱根駅伝に4年連続出場ながら、今大会ほぼノーマークから8月の世界選手権(ロンドン)代表の座を決定的にした。優勝は国内レース史上最速の2時間3分58秒を出したウィルソン・キプサング(ケニア)だった。

 井上は笑顔で、最後の直線に入ってきた。右手で胸を2度たたく。2度目のマラソンを2時間8分22秒でフィニッシュした。昨年3月のびわ湖毎日から4分34秒も記録を伸ばした。38キロすぎに設楽を抜き去り、一般参加ながら日本人トップに浮上。練習では後輩と競り合ったら前を走らせない、負けん気の強い男が「今、起きている現実にビックリしてます」と自分に困惑。これで8月の世界選手権の代表をほぼ確実にした。

 山梨学院大時代のあだ名は「雨男」。照準を定めたレースは決まって悪天候。同大の上田監督から「悪条件でも走れる選手になろう」と繰り返し言われ、雨や雪の日に走った。スライドする選択肢もある記録会に悪条件の日に強行出場し、同監督から「逆境に強い」と評されるようになった。

 この日は第2集団のペースメーカーが想定より速かった。それでも動揺せず、自分のペースを刻んだ。井上は「どんな環境でも対応する練習をしてきたから、周りのペースが違っても対応できた」。この日は晴れで気温も絶好。ただ「雨男時代」の経験が糧だった。

 実は隠れた逸材だ。鎮西学院高(長崎)時代には、青学大など複数大学から誘いがあった。山梨学院大では4年連続箱根駅伝出場。13年全日本大学駅伝では2区区間賞も獲得していた。

 無印の存在から一躍、東京五輪への期待度が急上昇した。伸び盛りの24歳は「もっともっと力を付けて入賞、メダルを狙いたい」と語った。日本陸連の長距離・マラソン強化戦略プロジェクトリーダーである瀬古氏も「3年後の五輪に近づいた選手」と絶賛していた。【上田悠太】

 ◆井上大仁(いのうえ・ひろと)1993年(平5)1月6日、長崎・諫早市出身。鎮西学院から山梨学院大に進学。14年の関東インカレ1万メートルで2位。1万メートルの自己ベストは28分12秒96。15年から三菱日立パワーシステムズ(MHPS)のマラソン部に入部。同社では長崎プラント建設部に所属。趣味は散歩。好きな言葉は「世界を越える!」。165センチ、51キロ。