全日本実業団対抗駅伝(ニューイヤー駅伝=1月1日、群馬県庁発着)で復活を期す日清食品グループでは、2選手がマラソンでMGC(※)出場資格を獲得している。そのうちの1人である佐藤悠基(32)は最長区間の4区出場が濃厚。一方の村沢明伸(27)も調子が上がれば主要区間を担う。東日本予選では9位と振るわなかった日清食品グループだが、本番では力のある2人の走りで上位進出を狙う。

佐藤がマラソンでも代表に近づきつつある。トラックで11年から14年まで日本代表入りしたが、13年から出場し始めたマラソンでは結果を残せず、5回目までの自己記録は2時間12分台と、平凡な記録に終始した。

だが6レース目の東京マラソン(18年2月)を2時間8分58秒で走り、MGC出場資格を獲得。9月のベルリン・マラソンでも、直前に腰を痛めるアクシデントがあった中で2時間9分18秒とサブ10(2時間10分切り)を記録した。

佐藤は試行錯誤をした末、独自のマラソン練習を確立しつつある。「レースの1カ月~3週間前に一度、疲労を抜ききります。そこから本番までに40キロ走、30キロ走などをやって試合に持っていくとパフォーマンスが良くなります」と言う。

次戦は3月の東京マラソンで、「2時間6分台も視野に入れてトレーニングをしている」。東京マラソンへの過程でニューイヤー駅伝の最長区間を走ることになる。過去には11年、12年と4区で連続区間賞を取ってトラック代表につなげたが、「今は確実に区間5位以内で走ることでマラソンにつなげたい」と佐藤は話した。

村沢は17年8月の北海道マラソンで優勝し、MGC出場権獲得第1号になった。村沢は「初マラソン(17年3月のびわ湖)の終盤で失速したので、北海道は走りきることを一番の目標にしていました」とMGCはあまり意識していなかったと、当時を振り返った。

3回目のフルマラソンとなった今年2月の東京では、2時間9分47秒と自己新は出したものの順位は14位(日本人9位)。さらに4回目のフランクフルト(10月)では2時間15分41秒に終わった。「体が動かなくなるまで」走り込むマラソン練習を採用したが、失敗に終わった。

佐藤のように自身のマラソン練習を確立する段階にまでは至っていないが、長期スパンでの取り組みは進行している。マラソンを始めてから「距離の適性を最初に作る」というテーマで練習してきたが、スピードとの組み合わせがここまでかみ合っていないのが現状だ。タイムなど目標は決めていないが、次戦は3月のびわ湖マラソンを予定している。今回はニューイヤー駅伝も利用してスピード練習を行い、びわ湖に合わせるプランだ。

2人はともに佐久長聖高の出身だ。10月のシカゴ・マラソンで2時間5分50秒の日本新をマークした大迫傑(ナイキオレゴンプロジェクト)は高校の後輩にあたる。大迫は1年間だけだが、日清食品グループにも所属していた。

高校、大学での実績は2人とも、大迫に劣らない。佐藤はトラックでも、大迫と対等、もしくはそれ以上の実績を残してきた。世間は3人を比較するが、佐藤も村沢もそこは仕方のないことと考え、必要以上に意識していない。

佐藤が「大迫は力がある」と認めた上で、次のように話した。「自分は彼のように米国に行くことはできませんでしたが、日本にいても海外のトレーニングなど、情報は入ってきます。あとは選手の意識の問題だと思います。日本でも高地練習は可能ですし、パートナーをつけて質の高いメニューもできます。大迫のやり方だけが全てではないと、自分も結果を出して証明したい」。

先輩2人も自身のやり方で、東京五輪へと突き進む。まずはニューイヤー駅伝経由で3月のマラソンを走り、そしてMGCで代表入りを目指す。

※MGC=マラソン・グランドチャンピオンシップ。東京五輪マラソン代表選考会。