そこに「10秒の壁」など存在しなかった。陸上男子短距離のサニブラウン・ハキーム(20=米フロリダ大)が日本人2人目となる100メートル9秒台をマークした。

米大学南東地区選手権の決勝で9秒99(追い風1・8メートル)を出して優勝。自己記録を一気に0秒06も更新し、大台を突破した。20歳2カ月での9秒台は世界歴代6位の年少記録。20年東京オリンピック(五輪)でメダルの期待も高まってきた。

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控えめに喜ぶあたりが、規格外のスプリンターたるゆえんだった。前半から鋭く出てトップに立ったサニブラウンはフィニッシュすると、左側の記録板を見た。速報値で10秒00。確定値で0秒01繰り上がると、チームメートから抱擁を受けた。でも、通過点にしか過ぎないから笑顔は控えめ。レース後も「正直、そんなに速く走っている感じはなかった。いつも通りの走りをして、フィニッシュした感じ。(9秒)99なんで誤差かな」。日本記録も「そのうち切れるんじゃないですか」。日本にとどろいた衝撃をよそに、本人は平然と受け止めた。

もともと「10秒切り」への執着はない。東京・城西高時代から「持つなら大きな目標がいい」と当時の日本記録10秒00でなく、ウサイン・ボルト(ジャマイカ)が持つ世界記録9秒58を目標に掲げ、今も本気で狙っている。「10秒00」も「9秒99」も認識は同じ。そこに意識はないから、壁も存在しなかった。

ただ世界的に見ても、大きな価値を含む偉業だった。20歳2カ月での9秒台は世界歴代6位の年少記録。あのボルトでは初めて10秒を切ったのは21歳8カ月だった。15年世界選手権(北京)男子200メートルには16歳5カ月で同種目の世界最年少出場、17年世界選手権(ロンドン)も男子200メートルで18歳5カ月で世界最年少でファイナリストに。また新たな勲章が加わった。

17年秋から進学する米フロリダ大では仲間と一軒家で共同生活を送る。自炊をし、唐揚げを振る舞ったこともある。「米国の自由な雰囲気が好き」と言う。五輪メダリストも育てたマイク・ホロウェイ・ヘッドコーチから指導を受け、苦手なスタートを改良。現在は無理に低く出ることを意識せず、自然に上体が上がるイメージを心掛ける。188センチの体格を生かし、大きなストライドを武器にした後半に強いタイプの選手だったが、3月には60メートルで6秒54を出し、日本記録に並んでいた。驚きの記録が出る予兆はあった。

まだ発展途上だ。まだシーズン序盤とはいえ、9秒99は今季世界4位のタイムだ。参加標準記録をクリアした東京五輪は決勝進出どころか、メダルも期待させる。五輪4大会出場の朝原宣治氏も「東京五輪でメダルを狙える」と太鼓判。まだまだ無限の可能性が広がっている。

◆サニブラウン・ハキーム 1999年(平11)3月6日生まれ、東京都出身。ガーナ人の父と日本人の母を持ち、小3で陸上を始める。15年に世界ユース選手権の200メートルでウサイン・ボルトの大会記録を更新し、100メートルとの2冠を達成。17年春に東京・城西高を卒業し、オランダを拠点に練習。同年秋に米フロリダ大に入学。100メートルの年次ベストは12年から11秒65、10秒88、10秒45、10秒28、10秒22、10秒05、10秒46、9秒99。200メートル自己記録は20秒32。188センチ、83キロ。

▽ジャスティン・ガトリンの話 ジュニア時代から才能があると感じていた。日本社会が彼に強いプレッシャーをかけなければ、記録は伸びる。