17歳の羽生結弦は10年バンクーバー五輪金メダリスト、キム・ヨナを育てたブライアン・オーサーコーチに教わるため、12年5月に故郷仙台を離れ、カナダ・トロントへと渡った。だが、母と2人で始まった異国の地での生活は不自由だった。

 幼少期からぜんそくを抱えるため、呼吸器を守るためのマスクは欠かせない。カナダではその姿を奇異の目で見られることもあった。食事は肉や野菜など食材の味が日本とは違い、ストレスがたまった。英語も思うように通じない。アパートと練習場を地下鉄で往復する以外、ほとんど外出はしなかった。

 息が詰まる日常にも、練習拠点のクリケット・クラブでは、練習に没頭できた。そこは約190年の歴史を誇るカナダ有数の高級スポーツクラブ。スピン、ステップ、スケーティングなどそれぞれの専門家から学ぶことができた。練習リンクの壁2面には大きな鏡があり、滑りながら自分の姿をチェックできる。そこで、スケーティングの基礎を見直した。急成長するライバル、ハビエル・フェルナンデス(スペイン)とともに練習できるのも、大きな刺激となった。

 その年の夏、教え子を連れて同クラブを訪ねた羽生の元コーチ山田真実は驚いた。「以前、あそこで見たキム・ヨナと同じオーラを発していた。この子は、本当に金メダルを取ると思いました」。11月のNHK杯後、羽生は「すごく、いま充実しています。(トロントに)移ったのは無駄じゃなかったなと思っています」と話した。環境の変化を、前向きに受け止められるようになった。

 年末の全日本選手権。羽生は高橋大輔、織田信成ら先輩たちを抑え、初めて日本一に輝いた。14年ソチ五輪の枠取りがかかる13年3月の世界選手権では、左膝と右足首を痛めながら、SP9位から追い上げて4位。日本男子の五輪出場3枠を死守した。同年12月のGPファイナルで優勝。日の丸を背負い、金メダル候補として迎える初めての五輪がやってきた。(敬称略=つづく)

【高場泉穂】

◆2012年(平24) 

5月 カナダ・トロントへ移住。ブライアン・オーサーを新たなコーチに迎える。

10月 GPスケートアメリカ2位

11月 GPNHK杯優勝

12月 GPファイナル2位

12月 全日本選手権初優勝

◆2013年(平25) 

2月 4大陸選手権2位

4月 世界選手権4位

4月 早大入学

7月 ANAと所属契約

10月 GPスケートカナダ2位

11月 GPフランス杯2位

12月 GPファイナル優勝

12月 全日本選手権2連覇