「4年に一度じゃない。一生に一度だ。ONCE IN A LIFETIME」

この言葉、見たことはないだろうか。

私はなぜかこの言葉から自分の人生を考えたりしてしまい、ふと足を止める。「いい言葉だなあ」と、いつも思う。


ラグビーワールドカップのコピーが書かれたフラッグ
ラグビーワールドカップのコピーが書かれたフラッグ

ラグビーワールドカップ2019。世界中から選手をはじめ、スタッフ、メディア、観客としてラグビーに関わる全ての人が日本にやってくる。こんな素晴らしいことがあるだろうか。そんな貴重な機会を、この言葉が見事に表現してくれている。

なんといっても選手やラグビーへの想い、リスペクトを感じる。

このコピーを考えたのが、吉谷吾郎さん(31)だ。

名門早稲田大学ラグビー部出身。生粋のラガーマン。中学時代は水泳にも打ち込み、平泳ぎで全国入賞している。高校は早大学院に進み、そして早稲田大学に進学した。ラグビーと共に歩んだ青春だ。現在はクリエイティブディレクターとして株式会社パラドックスに所属する。

彼を表すなら「人が好き」。

自分のためというより、相手が喜ぶ顔が好きだという。話していても、こちらが一を聞けば十が返ってくるほど頭の回転が速く、思考が深い。


早大時代の吉谷氏
早大時代の吉谷氏

ずっとラグビーが大好きで、愛も深いんだと思ったら、実はそうでもない時期があったという。早稲田大学を卒業してから、ラグビーがあまり好きではなくなった。

大学時代のコンプレックスだったという。

同期には、山中亮平選手(現神戸製鋼)や村田大志選手(現サントリー)をはじめとした現在日本代表やトップリーグで活躍する選手たちがズラリとそろっていた。

なぜコピーライターになったかというと、「ラグビーで勝てなかった分、全く異なった世界で勝負したかった」からだという。同期たちと会うこともほとんどなくなっていた。

しかし、それが変わった。記憶に新しい2013年12月の「最後の国立」。解体前の国立競技場を歴史ある早明戦で満員にしたいと、当時の早大監督、後藤禎和さんが中心となって結成したメンバーに加わった。

その場所で、みんなが一生懸命ラグビーのために、チームのために動いていることを見て、自分がラグビーに抱いていたコンプレックスが小さく思えた。

「ユーミンが目の前で歌っているのを見ながら涙があふれてきた」という。

私も当時、観客として観戦していた。早稲田大学の当時キャプテンの垣永真之介選手(現サントリー)、副キャプテン金正奎選手(現NTTコミュニケーションズ)の涙が思い出せる。

試合後のセレモニーで松任谷由実さんが歌った「ノーサイド」と共に、選手の表情が今でも忘れられない。


2013年の早明戦後、国立競技場で松任谷由実が熱唱した
2013年の早明戦後、国立競技場で松任谷由実が熱唱した

この大会をどんな想いで、選手が、スタッフが作り上げたかが、私のような一観客の心に根付いている。私もすっかりラグビーファンだ。

吉谷さんは、それを機にサンウルブズや日本ラグビー選手会の立ち上げなど多くラグビーの仕事と関わるようになり、多くのコピーを作り上げてきた。

さらにコピーライターとしてだけではなく、母校の早大学院ラグビー部でヘッドコーチを3年間務めあげた。

その間、流大選手や小野晃征選手(共に現サントリー)や立川直道選手(現クボタ)といった早稲田大学出身ではない選手たちも指導をしてくれた。「一流ほど、自分の母校でなくとも高校生のために指導にきてくれた。いいラグビー選手であることは、いい人間であること」という。

ラグビーの素晴らしさを日々感じている日常だ。

「仲間のために。ラグビーのために」

ラグビーワールドカップ2019唯一の新設会場である釜石鵜住居復興スタジアムのこけら落としが、今年8月19日に行われたときの広告企画も考えた。「キックオフ!釜石」「それでも希望を建てるんだ」「ちいさな町のおおきな夢」。チケットは完売した。

「日本にとって、そして自分にとってどんな意義があるのだろう」

そんなことを考えて作った「4年に一度じゃない。一生に一度だ」。このコピーに乗せて、吉谷さんのラグビーへの愛が人々に届いているに違いない。

来年9月20日、ラグビーワールドカップ2019が開幕する。2020年に東京オリンピック・パラリンピック、2021年にはワールドマスターズゲームズ関西が行われる。日本スポーツ界のゴールデンイヤーズと呼ばれるこの3年のスタートを切る大会だ。

私は、ラグビーに魅了された1人として、この大会をとても楽しみにしている。

たくさんの人にラグビー愛が浸透し、多くの人たちとのケミストリーが生まれることを期待している。

(伊藤華英=北京、ロンドン五輪競泳代表)