「今夜は、僕の夜じゃなかったね」。

14年ソチ冬季五輪(オリンピック)のスノーボード男子ハーフパイプで、3連覇を逃したショーン・ホワイト(米国)が肩をすくめて言った。誰もが金メダルを疑わなかった絶対王者は、決勝でまさかのミスを犯して4位に終わったが、失意の敗北にも笑って勝者を祝福した。

阿部詩にだって、たまにはこんな夜もある。

柔道女子48キロ級2回戦敗退。予想もしていなかった敗北が、偶然にも連覇を目指したパリ五輪の試合日と重なってしまっただけだ。完全無欠の人間などいなし、人生だって晴天だけが続くわけじゃない。

そもそも勝ち続けることは、勝つことより何倍も難しい。対策に研究を重ねるライバルたちの、半歩先を常に歩まなければならないからだ。そんな厳しい立場で、東京五輪で金メダル、国際大会30連勝。それだけでも奇跡のようだ。

「絶対に勝たないといけないという気持ちがすごく強く、重圧に負けてしまった」。試合後、彼女はそう振り返った。頂点に君臨してきた者だけが言える言葉だと思った。無敵の女王でさえ心が揺れる。それが五輪なのだ。

84年サラエボ五輪のスピードスケート男子500メートルで、金メダル最有力と言われながら、10位に沈んだ黒岩彰さんのこんな話を思い出した。

「オリンピックに魔物がいるという。でも魔物を心の中につくっているのは自分なのです」。彼は4年後のカルガリー五輪で銅メダルを手にした。

「魔物」という言葉で、もう1人思い出す選手がいる…スピードスケート男子のダン・ジャンセン(米国)だ。

優勝候補だった88年カルガリー五輪は500メートル、1000メートルともに転倒。満を持して臨んだ92年アルベールビル五輪でも重圧に負けて表彰台にも立てず、現役続行を決意した。

迎えた94年リレハンメル五輪。現役最後のレースとなった1000メートルで彼はついに金メダルをつかむ。しかも世界新記録。競技人生の最後にオセロゲームの黒を、全部白にひっくり返して、彼は伝説になった。

人を成長させるのは、順風ではなく、実は逆風なのだ。

五輪連覇に人生のすべてをかけて頑張り抜いた阿部に「もう1度頑張れ」なんて今はとても言えない。それでも、私は彼女の復活のドラマが見たい。きっと連覇以上に、心に刻まれる物語になるはずだ。

試合直後、動転して泣き叫ぶ阿部の耳にも、会場の「UTA」の大合唱が聞こえたはずだ。海外の五輪で観客から日本選手のコールが沸き起こった光景を、私は初めて目にした。

世界が阿部詩の次の物語を待望しているのだ。

すべてが必要な試練だった。そう思える日がきっとくる。【首藤正徳】(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「五輪百景」)

女子52キロ級2回戦 ケルディヨロワに一本負けし泣きながら引き揚げる阿部(撮影・パオロ ヌッチ)
女子52キロ級2回戦 ケルディヨロワに一本負けし泣きながら引き揚げる阿部(撮影・パオロ ヌッチ)