かつてダイエー、西武で通訳を務め、その後、巨人とヤンキースの業務提携やワールドベースボールクラシック(WBC)の開催に尽力するなど、日米球界を股に掛けて活躍してきた石島浩太(57)。実は2007年(平19)に性別適合手術を受け、男性から女性へと生まれ変わったトランスジェンダーでもある。女優、ミュージシャンと野球以外にも活動の場を広げる「コウタ」の現在の夢とは。


ギタリストとしても活動するコウタ
ギタリストとしても活動するコウタ

コウタが初めて球界に足を踏み入れたのは1988年。アートディレクターとして活躍していた電通ヤング・アンド・ルビカム(電通と米企業の合弁会社)を辞め、中内功からのオファーで通訳・渉外担当としてダイエーに入団した時だ。通訳の先輩ハイディ古賀(=後のロッテ2軍監督)からは「とにかく外国人選手の味方になってやれ」と助言を受けた。これが後々までコウタが選手に接する上での基本姿勢となり、現在の夢にもつながっていく。

コウタ自身、通信社記者だった父の仕事の関係で、子供の頃は世界中を17度も転校した。日本にやってくる助っ人選手同様、どこへ行っても「自分はアウトサイダー(よそ者)」。しかもただのよそ者ではない。コウタは幼少時から性同一性障害を抱え、性的にもマイノリティーだったのだ。

多感な中学、高校時代を過ごした70~80年代にかけては、当時住んでいた米国ですらトランスジェンダーという概念がなかった。性的マイノリティーを表す言葉はゲイとレズビアンだけ。それすら一般的ではなくfaggotやdyke(ゲイやレズビアンの蔑称)という言葉が使われていた。「しかもそういう人々があたかも精神障害者のように扱われていて。だから自分は両親には絶対にそのことは言えなかった」という。

ただ両親も感覚的にはコウタの女性的な部分に気づいていた。母親からは、その点について何度も言われた。コウタは「すごく傷つきました。でも大人になって手術を受けて女性に変わった時、妹に『あの時、分かってあげられなくてごめんね』と言われて、すごく救われた」と振り返る。そして今、自分と同じような境遇の人たちに同じような悲しみを味わわせたくない、と強く思うのだ。


1997年8月、ヤンキース伊良部秀輝(右)と球場入りする通訳の石島浩太(コウタ)
1997年8月、ヤンキース伊良部秀輝(右)と球場入りする通訳の石島浩太(コウタ)

女性としての内面を隠しながら、日米球界で羽ばたいていったコウタ。02年オフに松井秀喜がヤンキースへ入団する手助けをし、06年には日本の優勝という大成功で幕を閉じたWBCの運営にかかわった。同年には代理人アーン・テレム氏の片腕として井川慶のヤ軍入りを実現させ、入団会見では通訳も務めた。

そんな中、私生活ではついに性別適合手術を受ける決意をした。だが電通時代に結婚した妻スーザンに「実は…」と打ち明けると、これ以上ない拒否反応とともに、信じられない事実を目の当たりにする。「私は『トランスファミリーみたいな感じで、家族のままでいられないだろうか?』と、今考えるとむちゃくちゃなことを言ってしまったと思う。妻は妻で、私がすでにホルモン治療を始めて、だんだん女性らしい体になっていってるのに感づいていた。そして私が『女性になりたい』と言った時には、すでに彼女には別の愛人がいたの」。

ショックを受けたコウタは07年3月、マンハッタンとニュージャージー州をつなぐジョージ・ワシントン橋から投身自殺を図った。幸いにもすぐ警察に救助されて一命を取り留めたが、「性別がどうなっても魂の部分で愛している」というスーザンとの別離はコウタの心に重くのしかかった。コウタは「スーザンに対して満足していないから、私がこうなったわけでは全然ない。それを彼女には分かってほしい」と、いつも思っている。

ただ、これまで球界で経験したこと、そしてトランスジェンダーとして私生活で感じた喜びと悲しみ、すべてが糧になっているのは間違いない。「ああいう苦労がなければ今の自分はない。女性として、コウタとして生きていくためにすべてが必要だったと思う」。現在は一時、球界を離れて女優、ギタリストとして活動中。ギターで奏でる哀愁のメロディー、そして女優としての迫真の演技には、コウタの人生が当然のように色濃く映し出されている。


映画「さくら、さくら」で加藤雅也(左)と共演するコウタ
映画「さくら、さくら」で加藤雅也(左)と共演するコウタ

ヤ軍で伊良部の通訳をしていた97年、同投手とともに傘下マイナーの3Aコロンバス(当時)行きとなった。マーリンズ傘下3Aシャーロットとの試合では、後に殿堂入りするティム・レインズと、薬物問題を抱える強打者ダリル・ストロベリーの両外野手がチームに合流してきた。

ストロベリーは当時すでに薬物をやっていて、自分のことが信じられないような状態。いつもおどおどしていたという。ただ、そのシャーロット戦の9回に代打で出番が回ってきた。コウタは「あの流麗な一本足で、ゴルフのショットみたいに伸びていく逆転3ランを打ったの。ベンチのみんなも『これが野球だ!』って興奮していた」と昨日のことのように思い出す。

そんなストロベリーだが、実は今では牧師となり、人々を導く立場となっている。「みんなの前で突然泣きだしたり、自分を信じられなかったり。私も何度もそういう思いをしたから、ストロベリーの気持ちはすごく分かった。でも彼も今は完全にクリーンになって、牧師として世界を飛び回っている。本当に素晴らしいと思う」。

コウタもかつて性同一性障害に悩み、妻との別れから自殺を図るという人生のどん底を経験した。だからこそ、かつての自分のように社会の片隅でだれに知られることもなく悩んでいる人たちに寄り添いたい。それこそが現在のコウタの夢だ。「演技や音楽…どういう方法でもいい。LGBTの人たちや、うつ病とか自殺を考えている人たちのためになるような活動をしたい。そういう人たちに相談してもらえるような存在になりたい」という。


コウタは女性となった
コウタは女性となった

コウタは先日、仕事で欧州へと旅立った。久々に取り出したパスポートの性別欄は「M(男性)」のまま。「日本では私のパスポートはいまだに男性。私は子供がいるからということで、戸籍上の性別を変えられないんです。これまで運良く日本でも米国でもそれほど差別は受けてこなかったけれど、日本ではこういう堅苦しさを感じることはありますね」と話す。

そんな中、コウタは自分のような存在が脚光を浴びることでLGBTをはじめとするマイノリティーへの理解が進み、少しでも彼ら、彼女らが生きやすい世の中になることに期待しているという。だから自分の自殺未遂の話や最愛の妻との別離のことなど、思い出すと胸が痛むようなことも包み隠さずに話し続ける。すべてはマイノリティーへの理解を深めてもらいたいという気持ちからだ。

「『自分が、自分が』みたいな時代に別れを告げないと。トランプが大統領になったアメリカのように、終点まで行き着いちゃったらいけない」。米国では排外主義を掲げるトランプが大統領となり、日本でも「自己責任」の名の下に弱者を切り捨てる風潮が世の中にまん延している。そういった世の中ではマイノリティーへの風当たりは当然強くなる。コウタは「そういう世界を変えるには、陳腐な言い方になるかもしれないですけど愛しかないと思うんです」という。


愛とはすなわち、他者への思いやり、優しさのこと。コウタによれば「おもてなしの国」を掲げる日本でも、電車の優先席を居眠りした若者が占拠し、町ですれ違う人たちは笑顔どころかにらむようなまなざしを向けてくることもあるという。後ろの人のためにドアを開けたまま持っておいてあげるような人も少ない。そういうことができるささいな思いやりや優しさが、積み重なって少数派に寛容な社会をつくっていくのではないだろうか。

思えば野茂英雄や伊良部を米球界へ送り込んだ代理人の団野村をはじめ、コウタの周囲にはアウトサイダーへの愛を持った人物が多かった。コウタも同じだ。「実際に私の音楽も聴いてもらえば分かると思うんですけど、私が与えられるものは優しさと思いやり。すべての人が愛を持って、すべての人に愛が届くようにすれば世界は変えられると思う」と訴える。その上で「10年、20年後でいいからスーザンとの和解を果たしたい」と、もう1つの夢もそっと打ち明けた。【千葉修宏】