有村智恵(30=日本HP)が涙の復活優勝を飾った。首位と2打差の8位からスタートし、6バーディー、ボギーなしでこの日ベストスコアの66をマーク。通算13アンダーの203で、6季ぶり通算14度目の優勝を逆転で決めた。米女子ツアーでの挫折を乗り越え、強い有村が戻ってきた。2位には11アンダー、205で青木瀬令奈(25)と沖せいら(25)が入った。

 長い、苦しい日々を終わらせるパットだった。最終18番。カップまで2・5メートルのバーディーパットを沈めた瞬間、さまざまな思いが有村の頭をかすめた。もう悪夢は襲って来なかった。傷心のまま戻ってきた日本ツアーで、12年9月の日本女子プロ選手権以来6年ぶりの復活V。最終組のプレーが終わり優勝が確定すると、涙があふれてきた。

 「もっと心がわあっとなるかなと思ったんですけど、ちょっと苦しくなる感じ。長い日々がやっと終わったのかな」と優勝を決めた瞬間の感想を口にした。長く苦しい戦いをぬぐい去るような、見事なゴルフだった。ショットが安定し、6バーディー、ノーボギーのこの日のベストスコアをマーク。プレーオフの末、成田に敗れた3月の宮里藍サントリー・レディースでの「優勝がそんなに遠いところにないんじゃないか」という確信を現実に変えた。

 プロ3年目の08年から破竹の勢いで勝ち続けた。5年間で13勝を挙げた勢いで、12年に米ツアーへの挑戦を表明。QTを突破して意気揚々と米国に乗り込んだ。しかし、左手首の故障もあり、思うような成績は挙げられなかった。挑戦1年目の13年後半には、どん底まで落ち込んだ。「自分に期待してもがっかりさせられる。そのがっかりにも気持ちが動かないくらい心が死んでいた」。

 そんなどん底も、13年に唯一相談したという東北高の先輩でもある宮里藍さんの激励が転機になった。「『ありのままのあなたが、すごく好きだよ』って言ってくれて、それで救われました」。その後は米国の下部ツアーで見知らぬ米国人の家にホームステイしながら戦い続けた。そして、16年4月、実家で被災した熊本地震を機に日本ツアー復帰を決めた。

 3年前から米国人のパトリック・ゴス・コーチに師事し、「11、12年とかなり違うゴルフができている」という。30歳になって「できるだけ優勝したい。若い選手の壁になって、女子ツアーを盛り上げたい」と国内ツアーで戦う決意を示した。【桝田朗】

 ◆有村智恵(ありむら・ちえ)1987年(昭62)11月22日、熊本市生まれ。10歳でゴルフを始め、九州学院中時代に日本ジュニア選手権、全国中学校選手権で優勝。宮里藍を慕い東北高に進学。07年のプロテストにトップ合格し、同年8月にプロデビュー。09年に年間5勝を挙げるなどプロ通算14勝。159センチ、57キロ。血液型はO。