記憶に残る光景がある。

2018年11月16日、場所は愛媛県のエリエールゴルフクラブ松山。国内女子ゴルフツアー、大王製紙エリエールレディースの第2日だった。

瀬戸内海を望むコースは陽が沈み、薄暗くなりつつあった。ほとんどの選手はコースを離れている。ふとクラブハウスから外に出ると、カラン、カランという音が響いていた。

目を凝らす。誰もいないはずのパッティンググリーンに、2人のシルエットが映った。その前年(2017年)に賞金女王になった鈴木愛と、まだ下部ツアーを主戦場にしていた河本結だった。

無言の空間に、肌寒い空気が2人を包む。いつまでも、いつまでも、黙々とパットの練習を続けていた。1時間ほど過ぎただろうか。完全に陽が沈み、月明かりだけになった時、ようやく鈴木が先にクラブハウスに消えた。その後も体のケアをし、ホテルに戻ったのは、午後8時を過ぎた頃だった。

その年の夏にプロテストに合格したばかりの河本は、誰よりも練習量が多いことで知られていた賞金女王が努力する姿を、肌で感じたかったのだろう。一方の鈴木からすれば、プロになったばかりの“小娘”に負けられないという意地があったのかも知れない。

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その翌日も、河本の姿はクラブハウスにあった。予選落ちをしていたが、練習のためにやって来ていた。風邪気味ではなをすすっていた彼女は、温かいスープを飲みながら、こんな話をしていたのを覚えている。

「やっぱり、愛さん(鈴木)はスゴイですよね。あれくらいやらないと、レギュラー(ツアー)では勝てないと思うんです。私たちの世代も、みんな頑張っているから。今年、ステップで一緒だったしぶこ(渋野)も、すごい練習をするんです。あまり、みんなに見せていないだけで、私たちは知っている。もうレギュラーで活躍している子もいるけど、ステップ(下部ツアー)にも、むちゃくちゃ頑張っている子、いますよ。負けられないですよね」

河本も、渋野日向子も、いわゆる「黄金世代」と呼ばれる1998年度生まれ。まだ無名の頃から互いに刺激し合い、成長へとつなげてきた。

当時、下部ツアーでコツコツと努力を重ねていた渋野は、それから9カ月後の19年8月にAIG全英女子オープンを制する。

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全英優勝から1カ月後の同年9月。日本女子プロ選手権の会場(兵庫・チェリーヒルズGC)で、渋野は月明かりと軽トラックのヘッドライトを頼りにパッティングの練習を繰り返していた。“スマイリング・シンデレラ”と呼ばれたように笑顔が印象的だが、それを支えていたのは汗と努力の結晶だった。

1977年の全米女子プロで優勝し、日本人初のメジャー優勝者となった樋口久子も努力の人だった。本格的にゴルフを始めたのは、高校を卒業してから。その軌跡は、日刊スポーツ大阪版の大型連載、伝説で「メジャーを制した日本人」として2007年6月に描かれている。

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かつて世界ランク1位になった宮里藍は、メジャー優勝には届かなかった。ツアープロからの引退を表明した2017年の夏。宮里の生まれ育った沖縄と、東北高校時代の恩師や当時のゴルフ部の仲間に話を聞くために、仙台を尋ねた。

今でも心に残る話がある。沖縄でも、1人で東北に渡ってからも。夕食を終えてから、月明かりの下でパットの練習を繰り返していたという。それは、樋口久子から、宮里藍、渋野日向子と、時代を超えて共通する努力のエピソードでもある。樋口の優勝から日本勢が42年もメジャーで勝てなかった間も、その系譜は脈々と受け継がれていた。

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2019年に渋野が全英女子オープンで優勝。2021年は4月に男子の松山英樹がマスターズ、6月には19歳の笹生優花が畑岡奈紗とのプレーオフの末に全米女子オープンを制した。

長い空白の時を超え、今、強い日本を示す時が訪れようとしている。

この夏、東京五輪を迎える。男女ともに、自国開催で金メダル獲得も夢物語ではなくなった。

日本の女子代表は畑岡が当確。2枠目を争う21歳の稲見萌寧は河本に憧れ、その背中を見て急成長した。2年前に「しぶこフィーバー」を巻き起こした全英女王は、逆転での五輪出場へ、全米女子プロ選手権(6月24~27日、米ジョージア州)に臨む。

自分を信じ、最後の望みをかけて-。

どんな結末になろうとも、努力の結晶は決して、色あせることはない。【益子浩一】