女子200メートルバタフライで、12年ロンドン五輪銅メダルの星奈津美(24=ミズノ)が2分5秒56で、競泳の世界選手権で日本女子史上初の金メダルを獲得した。昨年11月にバセドー病の手術を受け、指導者も北島を育てた日本代表の平井伯昌監督(52)に変更。最後の五輪と決めた来年リオデジャネイロ大会に向けた取り組みが花開いた。競泳ではリオデジャネイロ五輪代表の内定第1号となった。

 電光掲示板で1位を確認すると、星は笑顔を見せ、観客席に手を振った。日本女子史上初の世界選手権の金メダル。プールから上がると涙がこぼれ、両手で顔を覆った。それでも「実感がない。すごくホッとしました」と派手には喜ばなかった。続けて「2分4秒台が出てたら喜べたんですけど」と謙虚に言った。

 前日の準決勝をトップ通過して迎えた決勝は、得意のラスト50メートルにかける作戦がはまった。150メートルを3位で通過すると「余力が残っていた」と、すぐに1人を抜いて、ラスト25メートルでトップに並んだ。そのまま抜き去り、快挙を達成した。

 高校2年のときにバセドー病を発症。階段を上がるだけで息が切れることもあったが、薬を飲んでコントロールしていた。昨年10月の定期検査で数値が安定せず、ホルモンバランスが崩れた。思えば、練習後も疲れを引きずることが多くなっていた。11月21日、甲状腺全摘の手術を受けた。傷痕は首に12センチ残った。

 手術と同時に、指導者を北島康介を五輪2大会連続2冠に導いた東洋大監督で日本代表監督の平井氏に変更した。3年前のロンドン五輪は銅メダルを獲得。「次は金メダル。導いてくれるのは平井さんしかいない」。12月中旬から練習に復帰して週6日、北島、萩野らと泳いだ。

 復帰当初は、恐怖感から首の傷をかばった。なるべく首を動かしたくないため、なかなか本職のバタフライを泳ぐことができない。そのとき背中を押してくれたのは平井氏だった。昨年末に「今日からバタフライをメーンで」と指示された。こわごわ入水すると普通に泳げた。日を追うごとにタイムも上がってきた。

 2月には萩野らと標高2100メートルの米フラグスタッフでの高地合宿に臨んだ。弱かった腕のかきも強化し、スピードアップに成功。5月のジャパン・オープンでは50メートルで自己ベストを更新した。今大会の100メートル準決勝では100分の1秒、自己ベストを更新。得意の後半に、前半のスピードが加わった。

 今も1日3錠の薬は欠かせない。それでも「手術の影響はない。良くなった実感はあるし、不安要素がなくなったことが大きい」と話す。同じバセドー病を抱える人にも勇気を与える金メダルだ。これでリオ五輪代表が内定した。「ここからが大事。ここからがスタート」。どこまで謙虚な金メダリストだった。【田口潤】