男子の一関修紅(岩手)が、昨年の覇者・東福岡を2-1で破る金星を挙げた。最終第3セットを競り勝ち、高校総体も含めて全国大会で初めて16強入りした。休部状態だった07年4月に高橋昇禎監督(43)が部を立て直し、自身の成功体験を選手に浸透させて結果を出した。

 東福岡のスパイクアウトで勝利が決まると、一関修紅の選手が喜びを爆発させた。高橋監督は頼もしそうに見つめていた。「正直、第2セットを取れなくて、しんどいなと思った。よく耐えてくれた」。年が明けて17年でチームを率いて節目の10年。王者を撃破しての初の16強入りで、大きな1歩を踏み出した。

 高橋監督は1年時からレギュラーだった亜大時代に「やらされるのではなく、自分でやってそれで伸びた」と振り返る。その成功体験を、部員4人でスタートしたチームに植え付けてきた。現チームの選手たちは後衛のリベロからのトスをクイックする、ユニークな攻撃を考案した。練習試合で試した。「やってみることが大事。その発想には怒らない」と話す。もちろん技術面の指導も熱心だが、3年生の主力は1年生から全国大会に出場。歴代でも一番「考える」が浸透している。

 試合中、会場の大声援で高橋監督の指示は聞こえない時が多い。日ごろから選手が「考える」を心掛けているからこそ、競り合いに生きた。岩手県の選抜チームの主力として出場した昨秋の地元国体は初戦敗退。18得点した福士徳紀(3年)は「全国で勝ちたくて」と、その後は選手だけのミーティングが数多く行われた。言いたいことを言い合い、団結力などチーム力アップも考えた。

 高橋監督が築き上げた一関修紅は、箱根駅伝で3連覇を達成した青学大・原晋監督(49)の組織づくりとシンクロする。高橋監督は亜大、Vリーグの東レ時代と1度も日本一を経験していない。「僕の夢は彼らに」と教え子に託す。試合後、金星を喜ぶ選手から握手を求められたが「ふざけんな」と拒否した。目指すべきゴールは、まだ先にある。【久野朗】

 ◆高橋昇禎(たかはし・のりよし)1973年(昭48)8月3日、岩手県北上市生まれ。不来方(こずかた)高から亜大に進学。卒業後、Vリーグの東レに加入。アタッカーとして活躍した。00年度引退後、亜大の監督をへて07年4月一関修紅高監督に就任。今大会は5年連続11度目の出場。