わずか1点の差で21年ぶりの優勝を逃した明大の丹羽政彦監督(49)は「この1点が僕と(帝京大)岩出監督との力の差」と自嘲気味に話した。後半5分で13点リードしながら、その後のチャンスに得点を奪いきれず「FWに固執せずに、BKに回していれば」と悔やんだ。

 それでも、帝京大をあと1歩まで苦しめた。スタンドを紫紺で埋めたOBやファンの声援も大きかった。「決勝まで来て、明治のラグビーができた。勝てなかったけれど、文化として残せたかなと思う」と就任5年目、67年の北島元監督に次ぐ長期になった同監督は胸を張っていった。

 昨春、就任した田中澄憲ヘッドコーチ(42)がチームを改革した。まずやったのは、部員全員との1対1の面談。「それぞれの考えを聞いていて、これは大変だなと思った。バラバラでチームではなかった」と振り返った。

 チームを1つにするために「マインドセット」(考え方の枠組み)の整理から始めた。「なぜラグビーをするのか」「なぜ明治に来たのか」を考えさせた。選手の中には、明大ラグビー部に入ったことで満足する者さえいた。明確な目標もバラバラだった。そこで、新しいチームを作るために「NEW MEIJI」をスローガンにし「明治ラグビーの歴史は昔のもので今はない。これから、新しい歴史を作ろう」と訴えた。

 大学選手権決勝の1月7日をターゲットに、強度の高い練習を続けた。その結果、対抗戦で2敗を喫したチームは成長を続け、大学選手権で19年ぶりの決勝進出を果たした。21年ぶりの優勝こそ逃したが、田中コーチは「あと1歩足りなかったけれど、新しい歴史を作るきっかけにはなった」と話した。

 ロックの古川満主将(4年)は「ファンやOBの声援を聞きながら、明治に来てよかったと思った」と話した。「僕がキックを入れていれば」と号泣したPGとゴール計3本を外したSO堀米航平(4年)も「下に伝えられるものは残せたかな」と言い、CTB梶村祐介副将(4年)は「新しい明治の文化を、後輩たちには残せた」と胸を張って言った。

 あと1歩、あと1点、その重みは戦った選手たちが1番分かる。だからこそ、次の世代は、その差を埋める努力ができる。北島忠治前監督が死去した96年度を最後に日本一から遠ざかる明大ラグビー。天国の御大は頑張った選手たち、監督らスタッフ陣に目を細めながら、それでも「前へ」と言っているはずだ。