92年バルセロナ五輪柔道男子71キロ級金メダルの「平成の三四郎」こと古賀稔彦氏が24日、死去した。53歳だった。

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会社から届いた連絡に絶句した。

「柔道の古賀稔彦さんが死去したと速報がありました」

センバツの取材で甲子園の記者席に座っていた。「古賀稔彦」の4文字に、一気に29年前まで記憶のネジが巻き戻された。

バルセロナ五輪で金メダルに輝いた後、福岡にある私の高校に講演に来てくれた。兄の元博さんが、うちの高校で体育の先生をされていた縁だった。「平成の三四郎」の登場に大歓声。それまで講演なんて退屈な時間だったが、古賀さんの話には、生徒も、先生も、その場にいた全員が耳を傾けた。

古賀さんはスペインの現地に入ってから負傷した。後輩の吉田秀彦さんとの練習中に足の靱帯(じんたい)を痛め、絶対安静で出場も危ぶまれた。だが、不屈の精神で乗り切り、金メダル。判定の旗が上がった瞬間、高校1年の私もテレビの前で絶叫したのを覚えている。

壇上の古賀さんの話。「五輪本番まで、まともに動くことができなくなりました。普段なら、練習で体を絞り、階級の体重まで落として仕上げます。でも、それができない。では、どうしたか。食事で落とすしかありませんでした」。そう言って、目の前に置いてあったビンのキャップを手に取った。講演する人に用意されているものだ。おちょこぐらいの小さいサイズ。それを掲げると「大会までの日数とカロリーを計算しました。すると、1日に食べられるのは、ちょうど、このカップ1杯分ぐらいでした」と続けた。

金メダルの涙の裏には、語りきれない努力があっただろう。ただ、そのいったんを知ることができた。高校生の私が、その話を聞いて何を感じたかまでは覚えていない。ただただ、勝負師の執念に恐れ入ったような気がする。いずれにせよ、29年たっても、すぐに思い出すほど、印象に残っている。

ご冥福を心からお祈りします。【古川真弥】