1964年(昭39)10月23日午後9時1分、東京オリンピックの興奮はクライマックスに達した。14日目、女子バレーボール・リーグ最終戦(駒沢屋内球技場)は、日本がソ連を下してついに金メダル。この時の視聴率は85%(NHK調べ)にも達した。“東洋の魔女"たちが泣き崩れる中で、当時43歳の鬼監督・大松博文だけは、放心したようにじっと宙を見つめていた…。
大松の実像と日本のスポーツ史に残る栄光の瞬間を、日刊スポーツで過去に掲載した6回連載「この道~500人の証言~:大松博文」で振り返ります。(無料会員登録で読めます)
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タイトル
<1>金メダルその瞬間視聴率85% 鬼監督・大松博文はじっと宙を見つめていた
<2>運動神経は抜群も野球部を強制退部「バンカラ」だと母許さずバレー部へ
<3>「ギョーカイNo.1」より「世界最強」…「狭い日本」の雑音には耳貸さず
<4>「だれも体育館に入れるな」マル秘の回転レシーブ 東洋の魔女が世界制す
<5>辞意に5000通の手紙 世論に覆され選手とともに東京五輪へ再出発
<6>「鬼と仏」の間を行ったり来たり 心と科学の調和を考え東京五輪金メダル