消えた天才が新たな道へ進む。陸上男子短距離の桐生祥秀(26=日本生命)にも寄せ付けない強さで勝った中学記録保持者が、競輪の世界で、まず第1歩を踏み出した。

日本競輪選手養成所の合格者が13日に発表され、日吉克実さん(26)が名を連ねた。さまざまな競技で優秀な成績を残した人が対象の適性試験で、身体能力を示して突破した。

この日、塾講師のバイトを終えた日吉さんは「今までスタートラインにも立ててなかった。ようやく新たなスタートラインに立つことができました」と喜んだ。4月中旬に入所となる予定。「トップを目指して全力でペダルを漕ぎます。息の長い選手になれるように頑張ります」と抱負を語った。桐生からもツイッターで「おめでとう」と祝福のメッセージが届いた。

日吉さんは静岡・修善寺中3年時の全国中学校体育大会200メートルで、従来の中学新記録を0秒18塗り替える21秒18で優勝した。その中学記録は今なお残る。2位の桐生には0秒43の差をつけていた。後に桐生が「僕は自分が速いと感じたことはない」と振り返るほどの圧倒的な強さだった。また100メートルも10秒64の中学新で2冠を達成していた。

ただ、そこがピークだった。韮山高に進んだが、一気にブレークした桐生の陰で伸び悩み、思い描いていたキャリアは歩めなくなった。洛南高3年の桐生が10秒01を出した時は「もう無理だ」と埋められない差を感じた。全国高校総体は決勝までは進めたが、中学時代のような他を寄せ付けない存在ではなくなっていた。中大ではリレーのメンバーには入れたが、4年間で個人タイトルを獲得できなかった。苦悩する中で、卒業後も走り続けた。しかし、輝きは取り戻せず、18年にスパイクを脱いだ。

新たな挑戦を模索し、決断したのが競輪だった。もともと実家の近くに養成所があり、身近に感じていた。陸上で頭角を現していた中学時代には「競輪もいいんじゃない?」と促されたこともある。当時は心が揺らがなかったが、ふと、それも思い出した。勇気を出して、新しい世界へ踏み出した。

実は受験は今回が3回目だった。引退後はひそかに練習をしていた。まだ何も成果を残せていないのに、公にはしたくない。そんな思いもあって、明かしていなかった。黙々と練習を積み重ねていたが、現実は厳しい。2年連続で技能試験で落ちた。次にダメならば、もう諦めよう-。今回は最後と決めていた。受験方法を一般試験から適性試験に変えて挑んだ。“2浪”の末、夢の扉をまず開いた。この1年は日中は競輪のトレーニング、夜は塾講師のアルバイトという生活を続けていた。

陸上では世界で戦う夢は半ばで絶たれた。でも、また新しい夢へ走りだす。今度はペダルをこぎ、最速の道を目指す。【上田悠太】