【パリ=木下淳】斉藤立(22=JESグループ)は銅メダルを奪えなかった。世界選手権2年連続3位の難敵アリシェル・ユスポフ(25=ウズベキスタン)に大外狩りから腕を取られて関節技で一本負けを喫し、5位となった。昨年のグランドスラム(GS)タシケント大会決勝で敗れた「借り」を返せなかった。試合後、斉藤は「情けないです。本当にここで応援に来てくれた家族に、ここであきらめたら申し訳ないと思って戦いましたが、力不足でした」と悔しそうな表情を浮かべた。
決勝で開催国フランスの英雄、聖火リレー最終点火者、怪物テディ・リネール(35)と対戦し、勝って、父仁さんとの日本柔道初の親子五輪制覇を遂げる夢はついえた。懸命に切り替え、3位決定戦に青畳に向かったのものの、銅メダルにも届かなかった。斉藤は「本当に自分の力不足で本当に情けない気持ちでいっぱいです。本当に、本当に応援してくれた方に情けない気持ち、申し訳ない気持ちしかない。日本に帰れるのかと、情けない気持ちでいっぱいです」と唇をかんだ。
準決勝で、夢が破れていた。今年5月の世界選手権王者キム・ミンジョン(23=韓国)に一本負け。昨年12月のGS東京大会で一本負けした相手に、再び屈した。2分45秒、背負い投げで完璧に投げられ、畳に突っ伏した。
準々決勝ではリベンジに成功していた。22年の世界選手権決勝で敗れていたアンディ・グランダ(キューバ)と対戦。延長戦も含め計8分4秒の死闘の末、内股で技ありを奪って準決勝に進んだ。
初戦の2回戦でも五輪2階級王者を倒した。16年リオデジャネイロ五輪男子100キロ級、21年東京五輪は100キロ超級で金メダルに輝いたルカシュ・クルパレク(33=チェコ)に対し、開始1分31秒、鮮やかな内股で一本勝ちした。
父は最重量級の五輪2連覇王者、仁さん。男子95キロ超級の時代に84年ロサンゼルス、88年ソウル五輪を制している。その次男が立。父は15年に肝内胆管がんに伴う、がん性胸膜炎によって54歳で亡くなったが、遺志を継ぎ、日本柔道初となる親子2代でのオリンピック制覇を目指してきた。夢は持ち越された。
国士舘大3年時に20歳で日本一。22年の全日本選手権で史上初の父子Vを達成した。2年連続で世界選手権の代表にも選ばれ、初出場した22年大会で準優勝した。23年は7位だったが、リネールと初の直接対決で惜敗に持ち込んだ。
まだ伸びているという身長は192センチ、登録体重165キロ。類い稀なサイズで期待され続けてきた。国士舘大の先輩で父の教え子だった石井慧。その08年北京五輪を最後に遠ざかる、最重量級の金メダルは奪回できなかった。
◆斉藤立(さいとう・たつる)2002年(平14)3月8日、大阪府生まれ。東京・国士舘高から国士舘大を今春卒業、JESグループ入社。柔道は5歳から始め、父譲りのセンス、それ以上の体格で小中高大すべて日本一。男子100キロ超級で18、19年全国高校総体など優勝。21年のGSバクー大会でシニアの国際大会を初制覇した。22年に史上初となる全日本選手権の親子優勝を遂げた。20歳1カ月は史上3位の年少記録でもある。同年12月のマスターズ大会も優勝。得意技は父直伝の体落とし、払い腰、内股など。血液型O。


